2001年3月のタイトル
上が最新となります。
2001/03/31■お前達、高校生だろ、タバコ吸っていいのか
久しぶりに回転寿司に行きました。
開店何周年記念とかで半額で食べられるとあって店内は席を待つ客で大混雑でした。
席待ちの座席も満員で、立っている人がたくさんいたのです。
幸い席が空いたので自分達は座って待っていました。
目の前に耳にピアスをした、いまどきの高校生3人が立って待っていました。
また席が空いて3人のうち2人までは座れたのですが残る1人は立っていました。
可哀想なので妻が席を詰めあって、もう一人の高校生を座らせてあげたのです。
「どうも、ありがとうございます」茶髪の高校生は見かけによらず
丁寧にお礼を言って座りました。若い者も捨てたものではありません。
見かけで判断してはいけませんね。(^-^)
そのうちに一人が、なれた手つきでタバコを吸い出したのです。
店内に灰皿も置いてあり、いまどきの高校生だからと自分は気にしていませんでした。
突然、「お前達、高校生だろタバコ吸っていいのか!」
と怒鳴りつける大声がしたのです。(@_@)
見るとジャージの上下で人相の悪い30歳代のヤクザっぽい男が高校生に、
いんねんをつけています。ことのなりゆきに、こっちが驚ろきました。(@_@)
「吸ってたのは誰だ!お前とおまえだな。二人ともちょっと表へ出ろ!」
二人の高校生は「なんなんだよ〜」と言いながら”ジャージさん”に店の外へ
連れ出されたのです。
その時に自分の名前が呼ばれたので回転寿司のカウンター席に案内されました。
カウンター席から外の様子が少し見えました。
あの子達はボカスカ殴られ蹴りを入れられたり焼きを入れられて挙句の果ては
カツアゲされたりヤクザ組織の構成員として取り込まれちゃうのでしょうか?
店の外で3人で話していたようですが案外、早く高校生2人は席に戻ってきました。
その後、寿司を食べていたので、たいしたことではなかったようです。
察するに、あのヤクザっぽいジャージの体育会系の男は、どこかの高校の体育の
先生で風紀担当の先生だったのではないでしょうか
そして学校名とか名前を聞いて、お説教したのでしょうか?
私服で食事に来ていて職業がら黙っていられなかったのでしょう。(たぶん)
だとすれば素晴らしい熱血教師です。とても勇気があります。
タバコを吸っている高校生を黙認した自分が恥ずかしくなりました。(^_^;
自分にはとても真似できません。仕事とはいえ、たいしたものです。
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2001/03/29■ラジコン断ち
妻が入院したので、この際、好きなラジコン断ちをして
1日も早く退院できるように願掛けすることにした殊勝な自分です。(^^)
日頃、ラジコン三昧の自分は、たまには亭主として実のあるところを見せようと
思ったのです。(実は、じつと読みます。誠意と同意語です)
酒が飲めないタバコも吸えない自分としては、これでも精一杯の努力なのです。
週末の日曜日のラジコンを短期間、控えることぐらい当然のことです。
妻が「今度の日曜日は曇りのち雨だから朝飛ばしに行けばぁ〜」と言うのです。
「今回は行かないよ」と言ってしまったのですが、テレビの天気予報を見てから
気が変わり「それもそうだな、じゃ朝のうち、ちょっとだけ飛ばすか」と
翌朝のフライトに備えてバッテリーの充電を始めた実(じつ)のない自分です。
最近はベアキャットでファンフライ仲間と早朝フライトしてファンフライ仲間が
9時頃、引き上げてからは電動機に切り替えるのです。
風が無いときはパークプレーン「チャビレディ」を飛ばし、
風があるときは「EPモスキートモス」を飛ばすのです。
結局、なんだかんだで3機とも車に積みこんでしまったのです。(^_^;
充電するバッテリーはベアキャット受信機用バッテリー、プロポ送信機、
チャビレディ用6本、EPモスキートモス用6本の合計14本です。
鉛親バッテリー2個とエンジン機用鉛小型バッテリーも並行して充電するので
忙しいです。
ラジコン断ちとか言って願掛けした自分は、どこにいったのでしょう。(^_^;
翌朝、5時に目覚めると小雨がパラパラと降っていました。
予報より早く天気が崩れたようです。
前の晩から機材を車に積み込んで準備が良いと、よくあることです。(;_;)
今回は、いったんはラジコン断ちの願掛けをしたこともあり、早々と機材を撤収し
14本ものバッテリーの放電作業をしたのです。実に空しい。(;_;)
ところが、これを見透かしたように天候は回復して晴れ間さえ出たのです。
結局、午前中は雨も降らず風も無い曇り空で絶好のラジコン日和だったのです。
飛ばしに行けなかったので炊事、洗濯の合間に最近、仕入れた
フライトシュミレーターで不得意なナイフエッジやホバリングの練習をしました。
あまりに穏やかな陽気なので、いつもの飛行場は遠いので、近場の田圃なら、
チャビレディが飛ばせると思い、腰が浮いたのですが
願掛けしたのを思い出して踏みとどまりました。
その後、先日、印旛沼に墜落し奇跡的に胴体のみ回収できたパストラルに
モスキートモス号の巨大な主翼を加工して取り付けて見ました。
大きめではありますが、いけるかもしれません。
パストラル純正の主翼なら、よく飛ぶのはわかっているので
駄目元でチャレンジしてみます。
これならフクロウのようにフワリと土手の上の狭い道の上に
降ろすことができるかもしれません。
重心位置を合わせたら、無性にテスト飛行をしたくなりました。(^_^;
パストラルのテスト飛行だけ今日やろうと思い6セル2000バッテリーの充電を
始めたら「バラ、バラッ」と大粒の雨が降ってきたのです。
自分には、まるで見透かしたような降り方のように思えました。(;_;)
結局、この日のラジコン断ちが効いて、予定より早く妻は退院できたのです。
これでも、ラジコン断ちしたと言えるのでしょうか。 (^^;;;
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2001/03/28■聞かなきゃ良かった下肢静脈瘤手術の実態
自分にとっては長い間、改善されなかった症状についての原因が解かり
手術できる状況になったことが、うれしいです。
先日、皮膚科の先生から静脈瘤の場合は局部麻酔して何本か余分な静脈を抜き取る
簡単な手術のように聞いていたので自分は極めて楽観視していたのです。
心配してメールをくださった読者の方には簡単な手術らしいので心配していません、
お騒がせいたしましたと返事をしました。
何人かは強い要望により象足をお見せしたのですが反応はイマイチでした。(^_^;
というのは現在は弾力ストッキングを着用して、むくみを分散しているので、
ミシュランタイヤのタイヤマンのように不自然に段々にはなっていますが、
象足状態ではなく本来の脚線美を誇るカモシカ足に近い状態なのです。
3ヶ月間も風呂に入れていない汚い赤黒く変色している足を見せました。
心配していたのに、たいしたことないじゃんと思われたと思います。
2〜3日、普通の靴下を穿いていれば、すぐにずん胴の象足状態になるので、
これを見せたら「おぉ〜」と驚いていただけるのですが・・・そうもいきません。
妻が「半年も赤く腫れているのはおかしい皮膚ガンじゃないの」と言いました。
皮膚ガンなら片足切断はおろか、ここまできたら命も保証の限りではありません。
それを恐れて自分は治療しているのに、身内が一番、残酷なことを言うのです。
テレビ番組で「エコノミークラス症候群」について放映していたそうです。
妻「お父さんと同じで足が爛れて肺に達すると死に至る恐い病気だと言っていたよ」
あぁ〜...何度も、とどめを刺されているような気分です。(;_;)
楽天家の自分も心配になって先日、心臓血管外科の先生に聞いたのです。
自分 「下肢静脈瘤の手術は当面、問題となっている左足だけお願いします」
先生「解かりました。予約を入れておきましょう。ところで検査はしたんだっけ?」
自分「あ、先生が2週間前にX線造影検査をしてくれたのですが」(^_^;
先生「あ〜やってますね、じゃ、問題ないです」オイオイ(^_^;
自分「ところで下肢静脈瘤の手術というのは簡単なのですか?」
先生「皮下手術だから簡単です。内臓をいじくるわけじゃないから
翌日は歩いてもらいます」
自分「簡単そうですね。でも、どうして10日間も入院が必要なのですか?」
先生「傷が大きいからね」
自分「傷が大きいのですか?」(^_^;
先生「そう、鎌でバッサリやった感じかな」
自分「解かりやすい表現ですね」(^^;;;
先生「ブラインド手術だから再発する可能性があるので、そのつもりで」
聞かなきゃ良かったと思いました。(T_T)ノ
これでノートパソコンで日記をつづる楽しみやフライトシュミレーターを
組み込んで入院中にホバリングやトルクロールを練習しようという
甘い考えは消えました。
治療に専念することにします。人生甘くないのです。(;_;)
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2001/03/27■小話(傘泥棒)
これは聞いた話です。(きっぱり)
電車を降りるときに座席の横にあったコウモリ傘を無意識につかんで、
立ち上がったら「それ、私の傘ですよ!」と注意されてしまった。(^_^;
そうだ、今日は傘を持たずに家を出たんだ失礼 m(_ _)m
翌日、置き傘を会社に持っていこうとして2本持って電車へ乗ったら
昨日の人と目があった。
「今日は収穫があったようですね」キラン(-_☆)
「....」(^_^;
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2001/03/24■パストラルとかけてデカプリオと解く
パストラルとかけてデカプリオと解く・・・して、その心は?
どちらも水中に沈んでいく感じが同じです。オイオイ(^_^;
デカプリオといえば映画「タイタニック号」で一躍、有名になった俳優です。
豪華客船タイタニック号が氷山に、ぶつかって沈没する映画を見ました。
冷たい海に飛び込んで、いったんは助かったものの救命ボートを彼女に譲って、
デカプリオは深い海の底へ、ゆっくりと沈んでいったのです。
このときの沈みゆくデカプリオと印旛沼に墜落して手こぎボートで回収の時の
パストラルの沈んでいく状況が、とても似ていたと思ったのです。(^_^;
でもパストラルは不死身でした。奇跡的に回収できたのです。\(^-^)/
経緯はこうです。
ナベさんの「アクロ7のRCAW取材ロケ」を見物に行ったときのことです。
昼休み時間帯は”13時まで電動機のみ飛ばせます”とのことで
唯一、電動機を持ってきた自分は調子こいてバンバン飛ばさせてもらったのです。
素晴らしい手入れの行き届いた広々としたCFC飛行場でEPモスキートモスを
飛ばしたのです。
今日はナベさんと小野さん、Tさんの取材フライト模様を記録するべく会社から
モニターとして借りてきた高級一眼レフカメラ、75-300mmズームレンズ、
ASA800ズーム専用超高感度フィルム4本を準備してきた自分です。
いつものことですが流石です自分σ(^_^;)
強風をものともせず軽快な飛びのEPモスキートモスでした。
RCAWのK村編集員にインタビューを受けたので記事として載るかも知れません。
ラジコン誌に掲載されるなんて生まれてこのかた、なかったことで
緊張しちゃいました。(^_^;
持参した6本のバッテリーを使い切ったので、これでやめとけば良かったのですが、
欲をかいてパストラルを引っ張り出したのです。13時まで、あと20分足らずです。
パストラルは40分以上、飛んじゃいます。
グリグリ、スタントもどきをやって1回だけ飛ばしたら終いにしようと思ったのです。
この機体は、まったくストレスのない飛行機なので割り当てチャンネルを
間違えないように確認しただけで、すぐ、手投げして飛ばしたのです。
風は、右から左へプロポのアンテナの先のリボンが真横になるほどの
強烈な風が吹いていました。
でも、パストラルは強風にも強いので余裕です(-。-)y-゜゜゜
準備中に主翼を止めているゴムを二重に補助した生ゴムがプッツリ切れました。
何だか不吉な予感がしました。(;_;)
パストラルは強風にあおられながら高度をとりました。安定しています。
ラダーロールをやってみましたが、多少、くせはあるものの何とかイケます。
次に背面飛行をやってみました。これが間違いのもとでした。(;_;)
ラダーロールは機速が必要なので変則的に風上から風下へ侵入させて演技
するのですが、通常のスタント演技は風下から風上に正対させて行うのです。
背面飛行の時に風上から風下へ飛ばしてしまったので強風に押し流されて、
あっと言う間に河川敷のフライトエリアを大きく外れて印旛沼の上を
遠くまで流されてしまったのです。
あわてて舵を打って、こちらに戻そうと試みたのですが遅すぎました。
はるか遠くでパストラルが豆粒のようになってクルクル宙返りしているのが
見えました。なんとか回復させようとしたのですが
フルパワー状態で機影が葦の陰に消えてしまいました。
久し振りに味わう墜落です・・・遠いので何だかピンときません。(^_^;
意味も無く苦笑いしながら、いったんは岸辺まで行った自分ですが
思いなおしてRCクラブの方に相談しました。
副会長さんと、もう一人の方が物置からボートを引っ張り出してくれました。
岸辺でTORIIさんが腕を差し伸ばして墜落地点を指し示してくれました。
遠くに主翼のようなものが水中から突き出しているのが見えました。
自分は慣れない手漕ぎボートでジグザグに風に流されながら墜落地点に向かいました。
思っていたよりも、はるかに遠くまで風に押し流されたものです。(;_;)
ラジコン機を見学に来て、ボート漕いで手に豆作ったなんて笑っちゃいます。
うららかな日が差してきて、ボート遊びには最高の陽気になっていたのです。
午前中のように雨降りだったら、最悪でした。
岸から主翼のように見えていたのですが近くに寄ったら竹竿でした。(T_T)ノ
飛行機はどこだ?と思ってオールを漕いでいたらボートの底に何か当たりました。
ボートが通過してきた水面に見覚えのあるパストラルのラダーの赤白模様が
浮いていたのです。
ぎょえ〜 今にも沈みそうで焦りました。(^^;;;
あわててボートをまわして今にも沈みそうなパストラルのラダーの近くに
寄せようとしたのですが、なかなか思うように近づけないのです。(^_^;
もう一度、ボートを、ぶつけたら間違いなく沈むでしょう。(^_^;
冷汗をかきながら、それでも何とか寄せることができたので
右手を差し延ばしてラダーをつかみました。
でも、体勢が不自然だったので手が滑って落としちゃったのです。
そしてパストラルが自分の手を離れて水中に、ゆっくり沈んでいくのです。(;_;)
タイタニック号の沈没の映画で見たデカプリオが海の中へ沈んでゆくシーンを
彷彿とさせるものでした。見ようによっては美しいシーンです。バシッ(T_T)ノ
あわててボートのオールを差し入れて下から支えたら、機体が上がったのです。
奇跡的に浮上した水中のラダーを今度は、しっかり親指と人差し指でつまみました。
間一髪でした。(^_^;
ゆっくり機体をボートに寄せて、そっと持ち上げると水がザアーと流れ落ちて
K黒さん製スピコンに内蔵された機体探索ブザーが「ピピピ〜ィ」と鳴きながら
引き上げられたのです。まるで「助けてぇ」と言っているようでした。(^_^;
それにしても主翼が外れた状態の胴体だけで、よく浮いていたものです。
大きな540モータと重い6セル2000mAhバッテリーを積んだまま、かろうじて
浮いていたのです。回収できたのは奇跡に近いことのように思えました。
ところで主翼は、どうしたのでしょう?
大きな浮力のある主翼が近くに浮いているのではないかと探し回りましたが
見当たりませんでした。印旛沼は大きな湖で、とても広いのです。
強風に押し流されたのでしょうか? 残念です。
手漕ぎボートでは探すのは不可能と判断しました。
岸辺で迎えてくれているTORIIさんを目指して後ろ髪を引かれる思いで戻りました。
機体をチェックしたらプロペラが片方折れて、もう片方のペラの根元にも
ヒビが入っていました。フルパワーで水面に叩きつけられたのです。
胴体は無傷で、どこも壊れていませんでした。不死身のパストラルです。
ムサシノ機は軽量なのに、どうしてこんなに丈夫なのでしょう。
バッテリーを外してメカを天日に当てて乾燥させた結果、
今では墜落の痕跡は皆無です。
CFCの皆様、お世話になりました。m(_ _)m
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2001/03/23■薬やってるんですか
いきつけの床屋に行ったときのことです。
椅子に腰掛けたら新入りの見習いに「クスリやってるんですか?」と聞かれたんです。
自分がしょうもない内容の思いつき日記を書いているのを知っているのでしょうか。
そして昔、FBIにヤクザと間違われた1件を知っていて冗談を言ったのでしょうか?
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自分の頭の中では「ヤクやってんですか?」と聞こえたので返事に窮しました。
問い返すと今度は「クスリ飲んでいるんですか?」と言うのです。
自分「いいえ、どうして、そう、思ったんですか」(^_^;
見習「そんな匂いがしたもので」
見習いさんは目下、接客のしつけを仕込まれている最中なので本人としては
一生懸命、お客に声をかけるのですが、慣れないのでぎこちない会話になり、
かえって墓穴を掘ってしまうのです。(^_^;
思い当たるのは今朝、早朝フライトに行った時に焚き火にあたったことです。
結局、風が強く吹き荒れたので機体を車から降ろすことも無く
早々に引き揚げたのです。
そして、そのラジコン専用の服装のままで床屋に行ったのです。
この話をラジコン仲間に話したら焚き火にあたった時は煙で衣服が燻されて
抹香くさい匂いがつくので家に入るときには玄関で匂い消しのスプレーを
かけてから入るという方がいました。結構、匂うんですね。
寒かった冬も3月半ばを過ぎると日一日と暖かさを増してきます。
春はそこまで来ているのです。
冬の間、吹きさらしの寒風の中の土手飛行場で暖をとった石油缶ストーブと
お別れです。薪を持ってきてくれたラジコン仲間の皆さん、
ありがとうございました。m(_ _)m
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2001/03/21■となりの芝生は青い
3月ともなれば芝張りの季節です。
「暑さ寒さも彼岸まで」昔の人はうまいこと言います。
長い冬もやっと終わりを告げ暖かい春はもうすぐ、そこまで来ているのです。
「となりの芝生は青い」という言葉がありますが
他人のものは自分のものより良く見えるという意味のようです。
近所の竹やぶだらけの、がけ地が造成されたのは3年前のことです。
こんなところに家が建つのかと思っていたら何と空中にテラスを張り出して
11軒もの家が建ったのです。(@_@)
いちばん北側の家の斜面は空き地ならぬ空ガケになっていて、
この空ガケに芝を張った人がいました。
ここは北側斜面なので日照条件もよくないし、第一、土壌改良もしないで
植えつけたので下地処理が不充分です。
土留めに使った土嚢の上にまで芝を張っているんです。(@_@)
これでは日ならずして芝生は枯れてしまうでしょう。(きっぱり)
今は青々としていますが、これは芝の用土の栄養分だけで、もっているのです。
その点、定年後に”あこがれの植木職人”を目指している自分の場合は
素人とは、やることが違います。
庭の芝張りに関して数冊の専門書を買い熟読したのです。
そして、まず基本の土壌改良から始めたのです。流石です自分σ(^_^;)
リフレッシュ休暇を利用して毎日、朝から晩までかかって作業しました。
土を30cmほどスコップで掘り起こし、排水改良のために砂利で溝を作りました。
掘り起こした土に消石灰を撒いて3日間、天日にさらします。
次に土くれをスコップで叩いて細かく砕いて天地返しをします。
小石はフルイにかけて取り出し「芝生の土」という用土を10袋混ぜて床土を
作ったのです。これで、準備は完璧です。
この作業で体重は3kgも減りました。久し振りの重労働でした。
園芸店で売られている姫高麗芝(ヒメコウライシバ)は見た目には葉も細かく
綺麗ですが、家庭で育てるには丈夫ではないので実は難しい品種なんです。
すぐ駄目になるヒメコウライシバを売りつける商法の一端を見るようです。
凝り性の自分は比較的丈夫で綺麗な芝の品種の中葉高麗芝(チュウバコウライシバ)
を、遠くにある芝生の生産農家まで出かけて行って買ってきたのです。
自分は全面密着直張りで芝生にコストを、ふんだんにかけました。
芝張り個所を立ち入り禁止にして日の当たらない早朝に水撒きを毎日やりました。
こうして芝生が生育するまで乳飲み子を育てるような努力をしたのです。
将来の園芸プロを目指す自分は素人とは心構えが違うのです。(^^)
しかるに”空きガケさん”の芝生は、そこらで買ってきて張っただけの手軽さです。
何たる手抜き作業でしょうか。だいたい園芸をなめてますね。
これだから無知な、とうしろう(素人のこと)は困ります。(≧ヘ≦) ムゥ
それなりに、お金をかけて芝生を張ったのですが日ならずして黄色く枯れてしまう
でしょう。実にもったいないです。気の毒で見ていられません。
空きガケさんは時々、ホースで水を撒いていました。
あるとき剥がれてきた芝生を竹串で止めているのを目撃したのです。
ヤキトリじゃあるまいし、竹串を刺すなんて無駄な努力です。話しになりません。
しかし、3ヵ月後には枯れてしまうことを心配していた自分の心配も虚しく
青々と成長したのです。土嚢の上の芝生も、どういうわけか元気です。
あれから2年経ちましたが、何と立派に芝生が根ついているではないですか。(@_@)
ちなみに手をつくした我家の芝生は日陰の部分は無残にハゲちょろけ
通路の芝生は磨り減って、お世辞にも立派な芝生とは言えません。(;_;)
あの苦労、努力は、いったいなんだったんだ!
踏み歩いている通路だから駄目だったのでしょうか?
いつか空きガケさんに教えを乞いたいと思っている自分です。(^^;;;
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●芝庭づくり(コウライシバ編) ここをクリック してください。
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2001/03/20■待合室模様(心臓血管外科編)
外科待合室の陽気さとは、うって変わって心臓血管外科の待合室は、
いつぞやのガンセンター内の待合室と同じく、生きることに対して、
あきらめきったような土気色の精気のない顔が多いのです。
ここで知り合いになったらしい仲間との会話の内容も
聞きようによっては凄いものがあります。
同病相憐れむというのでしょうか「あっ、ハヤシさんがきた。こっちよ」
「ハヤシさんの元気な顔を見ると落ち着くのよ」と、このグループだけが
妙に元気です。
術後の経過が気になるようでハヤシさんが、いつまでもつか気になるようです。
ここの患者は70歳、80歳が当たり前です。
50歳代の自分は洟垂れ小僧扱いで若いのに、こんなところへ来て、
かわいそうにという目で見られるような気がします。
ここでの公園デビューは果たせない孤独な自分です。
「おばあちゃん、がんばってね。まだ、まだ、アッチに行くのは早いのよ。
お孫さんに囲まれて幸せね。こうやって、お嫁さんに付き添ってもらって
診察にこられるのは幸せなのよ。お嫁さんに感謝しなくっちゃね。
アッチに行かないでがんばってね」
と年配の看護師が患者さんに声をかけていました。
----------------------------------------------------------------------
A:○○さん、ついに死んじゃったよ。
B:あ〜そうかね。(無表情)
A:朝3時ごろ手足をバタバタさせたんだそうだ。うとうと寝てしまい5時に目覚めて
声をかけたが 返事がないんだって、ふとんから出ている足に触ったら、
もう冷たくなっていたそうだよ。
A:半年も1年も世話になるくらいなら、ぽっくり苦しまずに逝くほうが有難いね。
B:そうだよね、そうなりたいよね。
----------------------------------------------------------------------
歳は結構いっている感じですが髪の毛が黒くて豊かでオールバックの、
ちょっと苦みばしった顔の患者がいました。ちょっと見には、どこぞの漁師の
網元か暴力団の組長といった雰囲気です。(^_^;
最初に気がつけば近づかなったのですが、最前列のそこだけ椅子が空いていたので、
ラッキーと思って座っちゃった自分です。σ(^_^;)
”組長”は大変せっかちのようで待つのが、じれったいようです。
絶えず足を組替えたり咳払いしたり、うなったり落ち着きがありません。
ここに限らず大病院での初診患者は4時間や5時間は待たされるのは当たり前なのです。
受診予約の自分ですら会計が終わるまでに3時間もかかっているのです。
ここでは組長だって、ど素人の一人の患者です。どうすることもできないのです。
いまさら席を立つこともできなくて、しばらく隣りでイライラしているのを
聞くはめになっちゃっいました。
やっとトイレに立つふりをして場所を変えることができた時はホッとしました。
病気で助かってイラついた組長に刺されて命を落としたくないです。(;_;)
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2001/03/15■見立て違い(象足編)
半年も経つのに腫れて象の足のように太くなった左足が治らないのです。
整形外科医は「こんなの初めてだ」と、さじを投げて同じ病院内の
心臓血管外科の医師を紹介したのです
患部は、まだ赤黒く変色して腫れているのに痛みや痒みはまったくないのです。
心臓血管外科医Y須賀医師は、これまでの状況を全て聞いたうえで診断を下したのです。
「これは蜂窩繊炎ではありません!
深部静脈血栓による血行障害がおきてリンパ浮腫を併発しています」
ガーン(T_T)ノ
今までの半年間は誤診のために無駄に過ごしていたのです。なんてこった。
でも、やっと本当の原因がわかって、よかったです。(たぶん)
この時は、そのあとで、またも見立てが変わるとは知る由も無い自分でした。
3年前に肉離れで筋断裂という重症を負ったときの処置としてギプスをしたための
後遺症だと言うのです。ギプスを外した時に、むくみがひどかったので、
その時に治療を担当した名医と評判の部長先生に言ったら
「静脈の逆止弁がイカれたのかな。弾力ソックスをはいてください」と
言われたのです。リハビリは受けられるんですかと聞いたら
リハビリは特にしなくても、そのうちに治るからと治療終了宣言をされたのです。
世の中には自分で治すことができないのに、ずるずると治療を続けるヤブ医者が
多いなかで、薬も一切出さず治療も、すぐ終えてしまうなんて流石は名医だ。
自分はついていると、その時は思ったのです。
ところが3年も経って心臓血管外科医が言うには、その時に血流をチェックして
血栓を取り除いていれば、その後、外傷を受けてもこのようなことにはならなかった
と言うのです。(;´Д`)ウウッ…
最近、TV番組で「エコノミー症候群」というのを取り上げていました。
旅客機の狭い座席で長時間座っていると血栓ができて突然、死亡してしまうという
恐ろしい病気です。同じだ。(;_;)
今回の象足の経緯を整理するために簡単に経緯を書いてみます。
@6ヶ月前にショッピングカートを溝に脱輪させたときに脛をぶつけて挫傷を負った。
A1ヶ月間は外傷のアザが出ない状態だったので自分で湿布薬を貼っていた。
B2ヶ月経ったら患部が赤黒く変色してきたので社内の整形外科医にみせたところ、
むくみがあるので循環器科で診てもらいなさいと言われた。
C医療センター循環器科で受診したが主として、むくみの原因を探る検査漬け
をされたのです。腎臓、心エコー検査での検査結果はすべて問題なし。
原因不明なのだが薬を投薬して様子を見るということでした。
そして検査入院(2週間)で全身の検査をすることを勧められたのです。
肝心の患部は積極的に診ようともしなかったのです。
やぶ医者なので見切りをつけました。
D不安になって同病院の整形外科を自分の意志で受診したのです。
このとき、既に4ヶ月も経過していました。整形外科医は、ひと目みるなり
「即、2週間の安静が必要なので入院しなさい」と言ったのです。
病名「左下腿 蜂窩繊炎」(ほうかしきえん)と診断されたのです。
E処方された薬を2ヶ月間服用したが改善されなかったので整形外科医が
院内の心臓血管外科を紹介してくれました。
これまでの検査結果を送ってくれたので再検査は免れたのがせめてもの救いでした。
このような経緯で6ヶ月後に心臓血管外科に、たどりついたのです。
ここでの所見は、これまでの診立てと大きく異なるものでしたが、
自分はやっと真の原因に行き着くことができたと思ったのです。
年配の看護師が気の毒がって「この病院に初診案内があれば、真っ先に、
ここに来ることができたのに遠回りしましたね。ヤブ医者が多くてね」
と同情されてしまいました。
心臓血管外科を受診する前に別件で会社近くの個人の皮膚科医院に行ったのです。
その時に心臓血管外科の先生の見立てと同じことを言われていたのです。
患部を見て、これは蜂窩繊炎ではありません。炎症です。
血行障害をおこしているので外傷を受けた時の治りが悪くなっているんです。
特に今回の部位は弁慶の泣きどころなので
骨の上の組織があまりないために血管が少ないのです。
静脈瘤が原因なら静脈を抜き取る簡単な手術で治りますよ。
ほんの少し打撲の場所が、ずれているだけで治り方が違うのです。
これは血管外科の範疇です。
うちで、できるのは炎症を少しでも静める軟膏を出すことだけです。
という実に明快な見立てだったのです。
本業の整形外科医から、この言葉を聞きたかったです。(;_;)
ともあれ半年かかって、やっと受診すべき場所に来た思いです。
心臓血管外科医は血栓が除去できるか、どうか2週間は処方した薬を飲んでください。
その後、患部のX線造影検査をして、血流が薬で改善されたか確認するとのことです。
「治ると良いね。3年前の血栓だと難しいかもしれないが、やって見ましょう」
と言われました。
病院巡りは患者が悪いように言われますが、違う事情がある場合もあるのです。
いとこの脳外科医師がガンで早死しました。
彼は”医は仁術”を実践していた素晴らしい医師だったそうです。
医者の不養生ともいいますがプロでもそうなのですから
自分の身体は自分で守るしかないのです。
皆様も、いつまでも治らない時は見立て違いを疑いましょう。(きっぱり)
こうして象足を手術することになりました。
本題に入る前に医学全書に記載された今回の診断結果「深部静脈血栓」に関する
記事を添付しますので、ご一読ください。
●血栓性静脈炎
症状:深部にできたものは、ほとんど無症状です。
原因:外傷や局部の炎症につづいて起こることもあります。
深部性のものは、しばしば手術後に起こります。
治療:深部のものは下肢安静にして状態が良くなったら、じょじょに運動する。
●静脈瘤
症状:無症状の場合が多いのですが、起立時の緊張感がある場合があります。
多くは血栓性静脈炎を合併しています。
原因:静脈弁の不全によるものと考えられます。
遺伝的に同一家族によくおこります。
治療:安静にして下肢を高くし、弾力ストッキングを着用します。
遺伝的に静脈瘤がある自分です。これも含めて治るといいな。
血流の状態を診るためにX線血管造影検査を受けた結果、早くも病名が変わりました。
現状では血栓は見当たらない。少ないが血流はあるし
逆止弁の機能も問題ないとのことでした。
うねうねと、のたくっている”静脈瘤”が問題だというのです。
静脈瘤の手術を勧められました。入院は10日間ほどだそうです。
そして驚いたことに「血栓というのは、いつから言われたの?」と聞かれました
「え?先日の診断で先生がおっしゃったんですよ!」何だか心配になってきました。
静脈瘤の手術は先生が忙しいようなので、まだ、未定です。
しばらく2週間毎に休暇をとって受診して薬を飲まされる日が続くようです。
左足だけでなく右足ふくらはぎも遺伝による先天的な静脈瘤がある自分です。
「この際、ついでに両方を手術してください」と言ってしまった自分ですが、
後で考えなおして当面、問題をかかえている左足だけ手術することにしました。
片足あれば何とかなります。(;_;)
病院のベッドで有り余る時間をノートパソコンで日記を綴る日が楽しみです。
無事、退院した暁には病院模様のレポートをアップしますので
楽しみに待っていてくださいね。
プッツンとなった場合は何らかの医療ミスで死んだ可能性があります。o(;-_-;)o
その時は、この日記もホームページもジ・エンドです。
いまのうちに書き溜めた日記を、せっせと送ります。生前葬ではないですが、
その時のメッセージです。
「ながらくのご愛読、励ましのお便りありがとうございました」m(_ _)m
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2001/03/12■お相手は44歳
いつもの早朝出勤の時のことです。
通勤時は人は多いのですが、しゃべっている人は、ほとんどいません。
いつもの静かな駅のホームに突然、若い女性の嬌声が響いたのです。
彼女達は次の駅で乗り込んできた女性2人と合流したので、
その車内の一角だけがにぎやかで、まるで華やいだピンクの霧に
包まれているようでした。(^-^)
大型スーツケースをもっているところをみると、
これから海外旅行に出かけるようです。
この先、この女性グループは、さぞかし、にぎやかなことでしょう。
若い女性の場合は許せちゃう鼻の下が、なが〜い自分です。(^_^;
A「彼女、結婚したのよ」
B「そーなの〜」
A「相手は44歳!」
B「え〜うそ〜マジ〜」
C「そりゃ、反応しちゃうよね」(^_^;
彼女達がワーワー言っているうちに着いた横浜駅のホームです。
いつもより短く感じました。(^-^)
乗ってきた横須賀線は横浜駅で成田エクスプレスの始発電車に乗り換える
海外旅行者がたくさんいるのです。
いいなぁ、一緒に、おじさんも連れてって。('-'*)
愛と、お金がなくても44歳に戻りたい自分です。オイオイ(^^;;;
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2001/03/08■花粉症
会社の近くにある枝垂れ梅は毎年、見事な淡いピンクの花を咲かせてくれます。
三寒四温、一日ごとに春らしさを増してきた今日この頃です。
ラジコン愛好家の皆様におかれましては、ご壮健でお過ごしのことと思います。
これじゃ、手紙だ。(^_^;
春の予感とともに辛い花粉症の季節が到来するのです。
自分は花粉症に関しては20年のキャリアを誇る大ベテランです。
他に自慢するものがないこともあり、ちょっと自慢しています。オイオイ(^_^;
”それは、突然、やってきます”今は他人事と思って笑っているあなたも
危ないのです。今でも、その時のことをハッキリ思い出すことができます。
帰宅時に駅の改札口を出た途端、冷たい空気に鼻腔が刺激されて大きなクシャミを
したのです。鼻がむずがゆくて続けて何回もクシャミがでたのに驚きました。(@_@)
何故か、スッキリして気持ちが良かったことを覚えています。
今、思えばこれが花粉症の発症の瞬間だったのです。
家に帰ってからもクシャミが連発して参りました。(;_;)
こんな経験は初めてだったので翌日、市が尾駅近くの耳鼻科医院に行ったのです。
入口まで患者が溢れて大混雑でした。
お決まりの鼻吸入をして薬を飲んでもボーッとするだけで、ちっとも楽になりません。
子供のころは杉花粉にまみれて山でチャンバラゴッコして遊んでいた自分です。
花粉症が騒がれるようになったのは近年のような気がします。
最近の若者、年寄りも含めて食生活の影響でしょうか。
実に軟弱になったものだと誤解していた自分です。
それまでは花粉症なんて身体の鍛え方で、どうにでもなると誤解していました。
いきなり、きました。もう立派な花粉症の患者です。(;_;)
この時は、その後、20年以上経っても苦しむとは知る由もない自分でした。
TVコマーシャルでクシャミをすると部屋中のテッシュペーパーが舞い上がる
シーンがありました。何とオーバーな表現なのだろうと思って
見ていたのですが患者になったら、その通りだと実感しました。
昨日は全国的に杉花粉が飛散したようで最悪でした。(;_;)
これは20年にもおよぶ自分の花粉症との闘病記録でもあります。
貴方の花粉症というタイトルを見て、何で貴の花?と誤認識された読者がいました。
なるほど言われてみれば、その通りでして実に紛らわしいですね。
んでもってタイトルを”あなた”に変えました。(笑)
女性に”あなた”といわれるのは、何だか色っぽいです。(うふっ)
でも、同じことを男性から面と向かって「ああた」とか「あんた」
「あなたね〜」と呼ばれるとムッとする自分です。
名前で呼べ、名前で、と思っちゃう自分です。
さて、本題に戻します。(^_^;
とにかく花粉症にかかったが最後、大変な目にあいます。
鼻からポンプで水を汲み出すように、とめどもなく鼻水が出るのです。
それこそテッシュペーパー1箱なんて、あっという間になくなっちゃいます。
ひどいときは上を向いて寝ていても溢れてきちゃうんです。
何も手につかなくて家の中にこもってボーとしている辛い日々を
過ごすことになります。
口コミで知った溝の口駅近くの耳鼻科に転院しました。
その個人医院は患者が玄関から溢れ、道路で待っている人も大勢いるのです。
診察は実にスピーディです。
医師「どうしました?」
自分「花粉症です」
医師「はい、お薬だしましょう、隣りで吸入やってください」これで終りです。
診察までの時間と診察は短いのですが料金支払いまでの時間が長いのです。
どういうシステムかわかりませんが、結局、2時間以上かかるのです。
花粉症にかかった気の毒な友人に、この名医を、そっと教えるのです。
「ここはいいですよ。実際、自分も、もう何年も通ってるんです」
オイオイ、それじゃ迷医じゃないか。
そう、花粉症はそんなに簡単には治らないのです。
この道については大ベテランである自分が言うのですから間違いありません!
劇的によく効く薬や注射は必ず副作用が伴なうので心配です。
根気よく治すしかなさそうです。
漢方薬を含めて、あらゆる対処療法を試みたけど改善されませんでした。
かかってから20年経った昨今は気のせいか少し、楽になったようです。
加齢によりジジィになると症状が軽くなるなら、それは、それでうれしいです。
花粉症のつらさは当事者になってみないとわかりません。
車の運転中、カーブを曲がっている時に出るクシャミは実に危ないです。
必死にハンドルを握って何とかクリアするので命がけです。
新聞に鼻スプレー剤について心臓疾患の副作用があり回収と載っていました。
自分が処方されて使っていたのと同じスプレーでした。 ← 実に気の毒です(^^)
ちょうど、その時期に心臓の不整脈が社内健診で指摘されたのです。(;_;)
花粉症を完治する薬が開発されたら凄いですね。しかし、電線しないストッキングが
製品化されないように花粉症の薬も難しいかもしれません。
完全に無くしたら耳鼻科の医者は飯の食い上げになっちゃいます。
読者への情報です。
今年は皮膚科の個人病院で花粉症の抗アレルギー薬を処方してもらったのです。
これは花粉症の症状がでる前から飲んでおけば軽減されるという優れものです。
耳鼻科と違って閑古鳥が鳴いている個人病院の皮膚科の受付に
「花粉症についてご相談ください」との張り紙があったのです。
処方される薬は同じだそうです。p(^o^)q
残念ながら自分の場合は、この抗アレルギー薬は効きませんでした。
症状が軽い方は、お試しください。内緒です。(^_^;
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2001/03/06■お薦め観光情報(三春の滝桜)
3月になったので、とっておきの観光情報をアップします。
2000年4月21日(金)休暇をとって”三春の滝桜”見物に車で行きました。
この時期は、この名物桜をひと目見ようと観光バス、自家用車が大挙して
やってくるのです。なにしろ、1本しかない木なのです。
全国各地から、この木をひと目見ようとして限られた見頃の1週間くらいの
短い期間の間に見物人が殺到するのです。(^_^;
その混みようは凄まじいものです。何とか回避したいですね。
失敗談が少しでも読者の皆さんのお役にたてれば、うれしいです。
運が良ければ見事な桜が見られますが自分の場合は、つぼみ状態の2分咲きでした。
休暇を取って行ったので渋滞なしでバッチリ見られると思ったのです。
我ながら頭いいなぁ。実に素晴らしい企画だと自画自賛していたのです。
でも、結果が、これでは帳消しです。駄目ポ...._| ̄|○
事前に開花情報を得て宿泊先や日程を調整したのに、この年は気温が低くて、
開花時期が例年より2週間も遅れたのです。不運でした。o(;-_-;)o
皆様も開花時期が外れたからといって自分に苦情を言ってもらっては困ります。
翌日の4月23日(日)に直接帰る予定を変更して再度訪れました。
折角の機会を有効活用したかったのです。
この2日間で、どの程度、開花がすすんだのでしょう期待しちゃいますよね。
ところが日曜日ということで大渋滞に巻き込まれたのです。(;´Д`)ウウッ…
磐越道「船引三春インター」は早朝にもかかわらず既に高速道路にまであふれて
大渋滞していました。滝桜まで8kmの距離を3時間もかかってしまいました。
何のために休暇までとって出かけたのでしょう。最悪です。(;_;)
やっと着いた三春の滝桜は3分咲きでしたが素晴らしい花でした。
でも車中見物で帰ったのです。と、いうのは駐車場から出るのも大変で、
こんどはインターまでが大渋滞になるのです。
妻が「もう、道路から充分見たから帰りましょう」と言うので
滝桜の駐車場を目前にしてUターンして帰路についたのです。
開花時期については役所等に問い合わせることがガイド本に記載されていますが、
自分の経験ではまったく、あてになりませんでした。(;_;)
いつでも大丈夫のような感じで答えられた結果が2分咲きだったことがあります。
たった1本しかない木なのです。正直に言ってたら誰も来なくなっちゃいます。
想像していた以上に幹が太くて樹齢1000年以上の立派な大樹です。
さすがは天然記念物に指定されただけのことはあります。p(^o^)q
今年も休暇をとって、こんどこそ時期を当てて満開の滝のような桜を
見たいと思っています。
ピンポイントで当たるかも〜これは観光ではありません!博打です!
《関連記事リンク》
●三春の滝桜 ここをクリック してください。
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2001/03/05■極妻おばあちゃんに煽られちゃいました
今日の出来事ですが今までの人生でこんな経験は初めてです。(^_^;
家族で母を連れて東京小平霊園に毎月1回墓参りに行くのが恒例です。
この日は、この時期にしては珍しく晴天で快適なドライブ日和でした。
通りなれた道路は車がスムーズに流れていました。
バックミラーを見ると後方からシルバーの車が1台、もの凄いスピードで
迫ってきました。制限時速60km/hのところですが100km/hは出しています。
突然、シルバー車は、さっとレーンチェンジして左に変わりました。
左折するのでしょうか?
ここは片側2車線道路ですが左側車線はこの先、約50mで左折専用となるんです。
左から無理やり乱暴な割り込みをされては危ないので
自分は優しく?アクセルを踏み、割り込まれないように間を詰めて
万一の場合に備えて牽制したのです。
左折レーンだと知ってシルバー車は自分の車の後ろに、ぴったりついたのです。
やっぱり、無理な追い越しをしようとしたのですね。
最近の若者は目先のことばかり考えて無謀な運転をするので実に危ないです。
この先は片側1車線の1本道なので、いつもゆったりした気分で走れる
桜並木の道路です。
ところが、くだんの車が右側から追い越しをかける感じで煽るのです。(^_^;
センターラインをタイヤ1個分オーバーして、ぴったり後ろにくっついて走るのです。
この道路は追い越し禁止の黄色い線の道路です。追い越しできるはずがありません。
自分は先ほどの強引な追い越しを阻止されたのを逆恨みして煽っているのだと
思いました。こんなときはサングラスをしていればよかったと思います。(▼▼メ) y-
バックミラーで運転手を見て我が目を疑いました!白髪のおばあちゃんです。(@_@)
何度、見ても白髪の、にこやかな顔のおばあちゃんが運転しているんです。
先ほどの猛スピードでの走りといいレーンチェンジの鮮やかさといい、
いい腕をしています。でも、こんな1車線で、のんびり走れる道で腕を発揮して
欲しくありません。
助手席に80歳を越えてると思われる口をあけた、おじいちゃんを乗せています。
左ハンドル車ではありません。やっぱり、おばあちゃんがハンドルを握っています。
交差点にさしかかるたびに反対車線に大きく出て追い越しをかけようとするのです。
追い越し禁止の片側1車線道路です。自分はどうすることもできません。
道路状況の把握に問題があるものの実にきびきびした走りっぷりです。
何だか頭の中がこんがらかって、おかしくなってきました。信じられません。
シルバー車の後の車は車間を大きくあけて様子を見ながら走っているようです。
妻に「あのおばあちゃんは国際A級ライセンスをもっているようだ」と話しました。
どう見ても60歳は越えていると思われる、おばあちゃんに温和な顔して
煽られるのは恐いです。
やがてシルバー車は右折のウィンカーを点滅したのです。
この先、右側の駐車場に曲がるようです。
やれやれ、これで追突されずにすみそうです。(^_^;
ところが、この車はまったく思いがけない行動に出たのです。(@_@)
前からバスが来ているのに反対車線に飛び出したのです。
それにしても、ちょっと待てばよいのに、ずいぶん、せっかちなおばあちゃんです。
だいぶ先の交差点を右折しようと思ったようです。そのために猛スピードで、
こちらの車の列を、こぼう抜きしようとしたのでした。
バスが来ているので当然、交差点まで行けるわけがありません。信じられません。
今度は、いきなり自分の車の鼻先に強引に割り込もうとしたのです。
このままでは、ぶつけられてしまいます。(≧ヘ≦) ムゥ
必死にクラクションを鳴らしてシルバー車の動きを牽制して間を詰めました。
当然、シルバー車は反対車線に出たままでバスと対峙した状態で止まりました。
バスの運転手は目を、まんまるにして固まっていました。(@_@)
自分は、いつもはこの手の車には道を譲って先に行かせるのですが、
ここは、ず〜と追い越し禁止の一本道なのです。
追い越し禁止の道路で反対車線に飛び出してまで無謀な追い越しをする車は
相手が、だれであろうと許せないです。ゼーゼー(@_@)
しょうもないことに正義感を燃やしてしまう年甲斐もない自分です。(;_;)
自分は振り返りながら思いきり”運転手”をにらみつけて通り過ぎたのです。
その時の、おばあちゃんの顔は、あくまでも温和で”どうして意地悪するの”
という困った顔でした。どうも反省しているようには見えません。
温厚な紳士の自分としては恥ずかしい振る舞いでしたが、これが事実です。
息子が言うには、その時もおじいちゃんは無表情で、あきらめきったような顔
だったそうです。かわいそうに暴走族の奥さんの、あんな乱暴な運転では
天寿をまっとうできないでしょう。
こんな状況でも事故って死んだら高齢者ドライバーのほうが有利になるのでしょうか
「おとなしい誰にも優しい、おばあちゃんを返せ、人殺し〜」
とか遺族に言われたら、たまりません。(;_;)
妻と息子に「あんなときは、どこであろうと行かせればよいのに」
と顰蹙をかいました。
見かけは、おばあちゃんでも若いころはブイブイ言わせていた走り屋だったかも
ひょっとしたら現役の極妻だったかもしれません。
恐い〜 事故らなくてよかったです。
帰路の交通標識電光板に「高齢者の運転手にやさしくしよう」と文字と
紅葉マークが表示されていました。
あまりにタイミングが良すぎて苦笑しちゃいました。
レーサーもどきの白髪のおばあちゃんに出会ったら、お気をつけください。
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