2001年6月のタイトル
上が最新となります。
2001/06/27■キャンプ場の怪
今日は各地で今年の最高気温だったようなので、ちょっと涼しくなる話です。
友人と数名で埼玉県の三峰山、雲取山、甲武信ケ岳、金峰山までの
縦走登山に行った時のことです。
2日間、誰にも会わず世間から隔絶された世界を歩いているような
淋しい縦走登山でした。
忘れもしません山中の縦走路に落ちていた新聞を拾って読んで驚きました。(@_@)
ソビエト連邦がスプートニク人工衛星を人類史上、初めて打ち上げ成功した
と報じていたのです。(1957年10月4日)
誰にも会わない登山と最先端技術のニュースとの取り合わせです。
目的地に着く前に日が暮れて、仕方なく縦走路に近い
林の中にテントを張り野営しました。
こんなところで、よせばよいのに面白がって怪談話をした友人がいました。
話し方が上手だったのと野営している場所が似ていた話だったこともあり
鳥肌がたつほど恐かったのを今でも覚えています。
じゃんけんで負けたものからテントの出入口に近いほうに寝ることになりました。
一番、出入口に近い友達が「恐いよ〜みんな起きてるか〜」と騒いで、
登山ザックを皆から、かき集めてテントの入り口に積み上げたのです。(^_^;
自分も妙に目が冴えて疲れているのに寝付けませんでした。
テントの周りで落ち葉がガサゴソいうのが恐くてガタガタ身震いしていました。
夜中に誰かが通るかも知れない道のそばの野営というのは実に恐いものです。
その後、読んだ登山の入門書に、そのような場所は避けるように書いてありました。
アップダウンが激しい雲取山を越えたところで食料が底をついてしまいました。
大きな縦走用登山ザックを背負っていながら食べ盛りの自分達は食料を無計画に
食いつぶして道程半ばでリタイヤしたのです。実に情けないです。...._| ̄|○
仕方なく予定を変更して下山し、日原鍾乳洞の近くの川原で遊んで帰った
軟弱な自分達です。山を降りる途中にあったキャンプ場で休憩したのですが、
ここはバンガローが多く、深い木々に囲まれた妙に淋しい
10月の時期外れのキャンプ場でした。
日原鍾乳洞に着いて知り合った人からキャンプ場の怪談話を聞かされたのです。
それは中学生数人を引率した先生の一行の話でした。
このバンガローに課外授業で泊まりに来ていた一行ですが
夜中にバンガローの周りを何者かが歩き回っている気配を全員が感じ、
まんじりともせずに震えながら夜明けを待ったのだそうです。
「先生、恐いから早く帰ろうよ」と生徒が言ったのですが
雨が激しく降ってきたので、翌日は一歩も外に出られず、
やむを得ず、もう1泊したそうです。
恐い〜 (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル (((((((( ;゚Д
ゆうべと同じくバンガローの周りを歩き回る気配と物音が夜どおし続き、
バンガローのなかを覗かれている気配までして、みんなは恐くて泣きながら、
この日も震えて夜明けを待ったのです。
次の日も激しい雨でしたが、もう我慢が出来なくて
一行は、ずぶ濡れになって真っ暗な山を降りました。
下山途中で数人のグループが雨のなかを登ってくるのに出会いました。
山登りで出会った人には挨拶をする習慣がありますが、
この時は挨拶しても返事がなかったのです。
何だか暗い表情で押し黙ったままの列をやり過ごして
逃げるように麓に逃げ帰ってきた一行でした。
麓の役場で聞いた話は、みんなを驚かせるものでした。(@_@)
このキャンプ場で昔、遭難事故があったのだそうです。
救助に向かった人達も急変した天候による氷雨による寒さで二重遭難したのです。
山を下るときに出会ったメンバーの様子を聞いた役場の人は真っ青になりました。
それが、その時のグループだったらしいのです。恐いですね〜
登山が好きな自分は近場は丹沢山、遠くは槍ヶ岳とか数多く行きましたが、
実際に怪談に遭遇する体験はしたことはありません。
霊感のない自分にとって山登りは最高です。(^-^)
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2001/06/26■あなたの座席指定席キップ大丈夫ですか
一度は小田急のロマンスカーに乗ってみたかったミーハーな自分です。(^_^;
よく利用する小田急線ですが途中の区間だけでも
乗ってみようと思って指定座席券を予約したのです。
ロマンスカーの指定座席に早目について座っていたら、
後から来た人が同じ席だと言うのです。(@_@)
指定席券を見せあいましたが同じ座席番号なんです。(;_;)
まだ、コンピュータ管理をしていない昔のことです。
ハンド処理なので発券ミスは珍しいことではなかったのです。
”後から来た人”が車掌を連れてきました。
そして自分の席だと主張するのです。
自分は憮然として車掌に指定座席券を提示しました。(≧ヘ≦) ムゥ
車掌は自分のキップを見て「発券ミスです。申しわけございません。
こちらのお客様は団体でご利用なのでこの席をお譲りいただきたいのです。
別に座席をご用意いたしますのでご協力お願いできませんか」と言うのです。
「そんな理不尽な!発券ミスを認めていながら自分が先に座ったのに一人だから、
どけとは何事だ!責任者を出せ!責任者を!」と心の中で怒鳴ったのですが
昔も今も気弱な自分の口をついて出たのは
「あ、はい、いいですよ」でした、我ながら実に弱っちいです。(^_^;
そして案内された別の座席に座ったのです。案外、良い席でした。
このような時のために確保してあるようです。
座席につき落ち着いたところで再度、指定座席券をじっくり眺めました。
ガ〜ン(@_@)
座席番号は同じでも乗車日が違っていたのです。
自分が間違えたのです。(^_^;
予約するときに利用日を言い間違えたのでしょうか 駄目ポ...._| ̄|○
降りるまでに検札の車掌さんが、まわって来ないことを祈りました。
気が気ではありませんでした。
外の景色や車内の快適さについては、まるで記憶がないのです。
その後、ロマンスカーに一度も乗っていません。
指定座席券は受け取ったときに、よく確認しましょう。(^_^;
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2001/06/19■腎臓結石
それは突然、何の前触れもなく起こりました。
2001年6月6日(水)午前1時頃に右下腹部に鈍痛が走ったのです。(;´Д`)ウウッ…
心当たりは、たくさんあります。(^_^;
@食当たり
昨夜、食べつけないズワイガニを、たらふく食べたのです。
茹でる直前まで活きていた新鮮なカニなので食中毒は考え難いです。
自分はカニが大好きでカニアレルギーではありません。
A盲腸
盲腸は、まだ健在ですが痛む部位はあっています。(^_^;
B胆石
人間ドックを受診して発見された胆嚢の胆石の可能性があります。
大きい石がいっぱい詰まっているそうで、その時の医師は外科手術で
摘出することを薦めたのです。でも、社医に相談したら痛くなったら、
その時に摘出手術をすれば良いとの返事でした。
そのまま発症しない場合も、あるとのことでしたので放置したのです。(^_^;
5月に帰省したときに同年輩の親戚が胆石除去手術をした傷跡を見せてくれました。
ラジコン飛行場でH口氏が救急車で運ばれて胆石除去手術をした話を聞きました。
なんだか、こう続くと微かに腹が疼いてきたような気分になりました。(^_^;
このときに「病院へは絶対、救急車で運ばれるのが一番」とアドバイスされました。
C副腎の腫瘍
これも今年、社内検診のCTスキャナー検査で見つかったのです。(;_;)
紹介状を書いてもらって受診した慶応病院での見立てではガン化する部位
ではないことより、ほっておいても大丈夫だが、念の為に1年ごとに
CTスキャンで経過観察することになったのです。
これも部位的には、あっているのです。
痛み始めてから4時間経過しましたが重い鈍痛はやむことなく
軽い吐き気までしてきました。
痛みには比較的我慢強い自分ですが脂汗を流して七転八倒する状態でした。
ついに午前5時になって自分はギブアップして「救急車を呼んでくれ」と
音をあげたのです。妻は、この一言で飛び起きました。
冗談で言っているのではないことを知ったのです。
妻「ほんとに救急車呼んでいいの」
自分「ちょ、ちょっと待ってくれ」
実は自分はこの歳になるまで救急車の世話になったことがないので
安易に呼ぶのはとても気がひけたのです。
でも、飛行場でのH口氏の経験した話が記憶に残っていたのです。
早朝では病院は対応してくれないし、かってない激痛に、そんなことを
言っている場合ではなかったのです。意を決して救急車を呼ぶだんになって
妻に「お化粧するので待ってね」と言われ、
ベットでのた打ち回って化粧がすむまで待っていたのです。(;´Д`)ウウッ…
生まれてはじめての119番通報も自分でかけさせられました。現実は厳しいです。
119「はい、こちら119番 火事ですか?救急車ですか?」
自分 「あ、はい、救急車のほうをお願いします」
119「どうしました?今の状況を話してください」
自分 「病状説明 ああだこうだ」
119「電話番号とお名前をお願いします」
自分 電話番号と名前を言ったあとに「本人です」は余計なことでした。
電話が終わってから妻から言われていた大事なことを言うことを忘れていました。
「ピーポ、パーポと鳴らさないで来て下さい」は、
とても言える雰囲気ではなかったのです。
しかたがないので妻は雨傘をさして往来の道路で待つことにしました。
でも、いつまで経っても救急車は来ないのです。
玄関の中でパジャマ姿で身の回り品をつめた紙袋を抱えてうなっていた自分です。
電話の応対で間違ったことを動転して言ってしまったかもしれません。
不安になったころに妻が玄関に飛び込んできました。「救急車が来たよ」
”ピーポ、パーポ”の件は言わなくても近所迷惑なので鳴らさないのでしょうか。
救急「歩けますか?」
自分 「大丈夫です」
最新鋭のベンツの救急車でした。「お〜ベンツだ、やったね」オイオイ(^_^;
ベンツといえども車内のベッドは幅が狭く、周りには救急器具が
びっしり設置されて狭いです。
救急隊員は4名で、いずれも中年の男性でキビキビした対応でした。
病状を言って収容先の病院との交渉を車内でするのです。
希望を聞かれたので先月、静脈瘤の手術&入院をしたばかりの大病院を希望しました。
診察券が水戸黄門の印籠の役割を果たしたようで、難航しがちな急患受け入れを
大病院が承知してくれたのです。
この間、救急車は赤いパトライトを派手に点滅&回転させて
ドアを開けた状態なので近所にはバレバレでした。(^_^;
やがて走り出した救急車ですがベットに固定されない状態なので振り落とされそうです。
これでベットから落ちて骨折でもしようものなら泣きっ面にハチです。
必死にしがみついていました。
”ピーポ、パーポ”は幹線道路に出てから鳴らしました。
早朝にもかかわらず通勤の車で道路は混んでいたそうで救急車を呼んで良かったです。
あっという間に病院に着きました。救急隊の皆さんお世話になりました。
お仕事頑張ってください頼りにしています。m(_ _)m
病院の救急治療室のベットに歩いて移動したのですが、それまでの激痛が
嘘のように消えているのです。
救急車を呼んで失敗だったかなと思いました。
心配している妻に、そっとVサインしました。
当直医は男のような雰囲気の 女医さんで無愛想で横柄な物言いで
病状を質問するのです。
そのかわり優しい笑顔の年配の看護師さんで良かったです。
2、3質問され採尿した結果「血尿だし腎臓結石の可能性が高い」との診立てでした。
無愛想な医師なので、この見立ては、ほんとかなと疑った自分です。
この時は痛みがなくなっていたのですが、この病気の特徴だそうで
痛み止めの座薬を処方されました。
まだ早朝5時半です。
ここの泌尿器科の診療開始は8時半からなので婦長さんは
「パジャマでは具合が悪いでしょうからいったん帰宅して出直したらどうでしょう」
と笑顔で勧めるのです。ここは病院です。
入院患者はみんなパジャマ姿で診察をうけてるのですが (゚Д゚≡゚Д゚)?
そうか! 急患の自分が帰れば、この看護婦さんの任務が終わるのだと
気がついたので、早々にタクシーで帰宅したのです。(^_^;
”急患さん”は、お金も使いますが気も遣うのです。(^_^;
そうそう、てっきり女医だと思っていた当直医は妻に聞いたら男性だそうです。
あとで、この先生の見立てが正しいことが証明されました。
女のような男の名医だったのです。(笑)
人は外見で判断してはいけません。(きっぱり)
結果:腎臓結石 膀胱の上3cmに6mm×2mm 結石あり
様子見る。その後、痛みなし
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2001/06/16■墜落
ラジコン飛行機をやっている人にとって墜落は避けて通りたいことです。
墜落の苦い思い出を吐き出すために書いてみました。
胸が痛む方は読み飛ばしてください。m(_ _)m
はじめての1号機大破
ラジコン飛行機を始めるにあたり近所のムサシノ模型研究所に出向き
ラジコン機材一式を購入しました。
双葉製のプロポ送信機(菱形)受信機セット
機体は「ストレンジラビット号」OS 30エンジン倒立搭載、肩翼エルロン機です。
自分が生まれて初めて製作した機体でした。
1号機は、お決まりのテールヘビーになりました。
機体が完成し、操縦練習は館林さんに個人指導を受けたのです。
ラジコンフルセット販売後の検収飛行というサービスだった
のではないでしょうか。
当時、館林さんは全日本陸上R/C競技大会優勝で連勝していた時期だったので
多忙だったはずですが、ラジコン入門者の自分は知らなかったのです。(^^;;;
ムサシノ模型研究所に近かったこともありますが、いま思えば一生の思い出です。
館林さんに指導していただいた飛行場所は東京都昭島市拝島町の拝島橋の
河川敷でした。上空で安定した水平飛行状態にしてから、自分に送信機を
渡してくれるのですが、まだ、あまりスティックに触っていないのに、
いきなり機体が下を向いて真っ逆さまに落下するのです。(@_@)
慌てて館林さんにプロポを何度も戻したことを覚えています。
ラジコン機の操縦って難しいと知りました。(^_^;
操縦に少し馴れてきた2回目のフライトのときのことです。
よく、ありがちなケースですが機体が、だんだん遠くへいって、
どちらを向いているのか姿勢がわからなくなったあげく
遠くのクレーン車の鉄骨に、ぶつけて大破してしまったのです。
2機目のストレンジラビット号は軽量にできたのでビギナーの自分にも
ロールが簡単にこなせる素晴らしい飛行機でした。
その頃は操縦にも馴れて二子多摩川の河原で仲間と飛ばしていたところ、
違法無線の輩に故意に妨害信号を入れられて河原に激突し、
木っ端微塵になりました。残念!
責任者を出せ!
調布の模型屋が主催するラジコンクラブCFCに所属していた頃、
飛行指導員の腕章を巻いて競技会に出たことがありました。
会場は飛田給という原っぱの飛行場でした。
機体は40エンジン搭載の純スタント機「グローリー40」です。
ラジコンに限らず競技会とか本番にメチャ弱い自分は
最初の場周飛行中に早くも墜落させてしまいました。
背丈を越す葦が生い茂る原っぱだと機体が見つからない場合があるので
自分は小走りに現場に駆けつけました。
すると、自転車に乗ったオジさんが自分の機体を小脇に抱えて、
こちらにやってくるではありませんか。
「ありがとうございま〜す」と言ったら「うるせぇ」と言って、
そのまま大会本部まで行って「責任者を出せ!」と喚いているのです。
「この飛行機が自転車で走っていた俺の目の前にクルクルッて落ちたんだぞ。
危なかったんだぞ」と騒いでいるんです。
どう、折り合いをつけたものか競技会は続行し、機体も無傷で戻ったのです。
この手のスタント機は、昔も今も操縦が未熟な自分には不適切だったのです。
《関連記事リンク》
●往年のラジコン飛行機 ここをクリック してください。
高速道路に墜落
いまでも思い出す冷や汗ものは他人の飛行機ですが、多摩川にかかる
東名高速道路の橋の上を向こう側から飛んできたときのことです。
危ないなぁと思って見ていましたが、どんどん近づいてくるのです。
そして、橋の上にさしかかり、それっきり、
こちらに飛んで来なかったのです。大変だ!(@_@)
東名高速道路の橋の上で車の急停車や、ぶつかる音、阿鼻叫喚の声がしないかと
耳をすましたのですが、静かでなにも反応がありませんでした。
飛行機の持ち主がやってきて「こっちに飛行機が飛んできませんでしたか?」
と聞くので、状況を説明すると彼は青い顔して帰っちゃいました。
逃げたともいえます。(^_^;
プレイリー4分割
エンジン付きの飛行機として選んだのは入門機として定番の「プレイリー号」でした。
突然、プレイリー号が原因不明のスロットル全開状態で真っ逆さまに墜落したのです。
研究所の敷地に墜落したのですが、幸いに人がいない植え込みに落ちたのです。
その結果、主翼、胴体が4つに分割して大破しました。
それでも、プレイリー号は修復がしやすく丈夫だったのでカムバックしました。
第一回水上機大会見学
なにしろ、初めての水上機の大会ということもあり、まともに離水できず、
水上をグルグル回るだけの飛行機が大半でした。 → 遠くを見る眼('-'*)
そのなかでメーカーのデモ機のみが素晴らしいフライトを披露したのです。
しかし、一番 ギャラリーに受けたのは、このデモ機が対岸の茂みに墜落した
ときでした。上手に飛ばしているのは見ている方は、すぐ飽きるのですが
墜落はギャラリーの期待に応えるようです。
期待に応えないように頑張りましょう。(^_^;
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2001/06/13■ラジコン機を落とすヤバイ人
以前、飛ばしていた場所は産業廃棄物の集積所を埋め立てて台地にした広場です。
木々が広場の半分を取り巻いているので夏場は涼しい木陰で操縦できるのです。
周りは畑が広がっているので空域は広いが残念ながら着陸する広場は狭いです。
公園の周りに植えてある植木の間を、すり抜けて着陸態勢に入れないと
オーバーランしてしまいます。
広さが確保できないので初心者が飛ばせる場所ではありません。
自分は、この広場のことを”航空母艦”と言っていたほど着陸難易度が極めて
高いです。こういう広場はムサシノ機の独壇場です。(^_^)V
モスキートモス号は手投げ発進させて上空でホバリングしたり、サーマルを探して
悠然と長時間飛ばして遊べるのです。
着陸も向かい風が少しでもあればフレアーをかけてフワリと定点着陸できます。
路面がアスファルト舗装されている広場なので複葉機のハミングカブ号は
着陸してからタキシングして再び飛び上がるというタッチアンドゴーが
ギリギリの狭さでできるのでスリルがあって面白いです。
これは一見単調にみえますが何回繰り返しても飽きることがありません。
そんなある日、サンダル履きの浅黒く日焼けした40歳代の男性が子供を連れて
見に来たのです。何回となく見にくるので話をするようになったのですが
住まいは広場の近くだそうです。
”サンダルさん”は以前にラジコンをやっていたそうで、どうりで熱心に
見ていた訳です。
この広場は最近の造成でできたもので隣接した広大な消防訓練所の広場は
以前は広い原っぱで大型ラジコン機をバンバン飛ばせたのだそうです。
消防訓練所の広場となりフェンスを張り巡らされ飛ばせなくなったそうです。
その時、ラジコン機を相当数、捨てたそうですが、いまでも納屋には
当時の大型スタント機が10数機あるそうです。
飛行機もヘリもプロポ機材も、たくさん持っていたそうです。
一見、がさつな人のようです。人はみかけによらないと思いたかったのですが、
この人はそのまんまでした。
サンダルさんのお兄さんは飛ばすのは苦手だが飛行機製作が得意だそうです。
弟のサンダルさんは作るのはめんどくさいが飛ばすのは、お任せとのこと。
世の中うまくできているものです。
ある日、サンダルさんがラッキー20Sを持ってきて飛ばしました。
久し振りのフライトだそうです。
エンジンフルパワーで凄いスピードでギンギンに飛ばしました。(@_@)
この狭い航空母艦広場にどのようにして降ろすのかと見ていたのですが、
広場の真中にグリグリッとダウンを打って猛スピードで突っ込んだのです。
どうみても着陸とは言えないです。(@_@)
ピアノ線の脚やタイヤが、すっ飛びエンジンも飛び出し前方に転がりました。
ラッキー20は名機として知られており、自分もラッキー10を作ったことが
ありますが、このような飛行はしませんでした。
主翼を極細のテーパー翼に改造したための不安定ではないかと言っていました。
その後、サンダルさんは見にきても飛ばすことはありませんでした。
話の内容も驚くことばかりでした。(@_@)
たまたま、話がラジコン保険のことになり
自分が「入っていても保険を使ったという話は、あまり聞いた事がないですね」
と言ったらサンダルさんは「俺なんかラジコン保険 良く使ったなぁ」と
昔を懐かしむように胸をはられちゃいました。
「いつぞやは大型スタント機が瓦屋根をぶち抜いて大騒ぎさ」と
こともなげでした。(^_^;
保険を使っている人は懲りずに繰り返し使っているんですね。(@_@)
驚いたのは注意しても言うことを聞かないラジコン機を落としたという話でした。
この広場から少し離れたところに自衛隊の通信基地があります。
周囲は草原が多いので遠くから車に積んでラジコンヘリを飛ばしに来る人が
後を絶たないのだそうです。
ここは通信業務に差しつかえがでるのでラジコン禁止区域です。
近隣住民のサンダルさんは口頭で注意するのですが、言うことを聞かず
無視してラジコンヘリを飛ばす輩が後を絶たないそうです。
一見して危ない人に見えるこのサンダルさんの言うことを聞かない人がいるのです。
サンダルさんが言うには、こういうときは頭にきて、離れた植え込みの陰に
いくつものサーボを並べて、かたっぱしからスイッチを入れてラジコン機を
落とすのだそうです。どうも、この人の言うサーボとはプロポ送信機のことを
言っているようです。(笑)
それにしても、こんなことを自慢するとは世の中にはヤバイ人がいるものです。
この話を聞いて自分は、この広場で飛ばすのはそれっきりになりました。
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2001/06/11■牛乳
オートキャンプの旅先で北は礼文島の”礼文牛乳”等、
地元の牛乳を飲みました。
自分はアルコールが下戸で飲めないのですが、牛乳ならいくらでも飲めるのです。
大ジョッキ1杯はイケます。
ミルクガーデンなるものがあったらググッーと一気飲みしたいです。
若い女性から「おじさま、素敵!」とか言われたいです。
自分は酒豪ならぬ乳豪なのです。
ついでにミルク(酒)のうえでの過ちなんかも許してくれたら、うれしいです。
最近は付加価値をつけるために混ぜ物を入れた加工乳や乳飲料が多いですが、
やはり”市乳”と呼ばれているビン入り牛乳に限ります。(きっぱり)
会社食堂の牛乳屋さんに話したら、配達用のビン入り牛乳を持ってきてくれる
ようになりました。久し振りにビン牛乳を飲んだら美味しかった。
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2001/06/07■あなたのラジコンクラブ大丈夫ですか
ラジコン仲間が昔に入っていた名門ラジコンクラブの話をしてくれました。
強風待機で飛行機が飛ばせなくても退屈しないで過ごすことができました。
今では入会することもままならない某名門ラジコンクラブに"親分さん"が
入会したそうです。そしてラジコンヘリの練習を始めたのです。
とても腰の低い穏やかな紳士で「ラジコンは初めてなので何も解かりません。
ご迷惑でしょうが、いろいろご指導ください。よろしくお願いいたします」
と丁寧な挨拶だったそうです。
埋立地の飛行場にはデカイ、アメ車で来ていました。
御付きの人もいて"親分さん"が座ろうとすると後ろからサッと椅子を出すのが
絶妙なタイミングだそうです。
この御付きの”三下”が、たまたま寝坊して、これもアメ車でやってきたのですが、
飛行場で"親分さん"にボカスカ殴られたそうです。(^_^;
大きくて屈強な”三下”は殴られたり蹴られたりする間、無抵抗だったそうです。
これとは別に”ひも”もラジコンヘリをやっていて飛行場まで地味ななりをした
ソープ嬢がやってきて”ひも”に目の前でお金を貢ぐのだそうです。
財布には札が分厚くギッシリ入っていたと親指と人差し指で厚みを示してくれました。
そんなに入る財布なんかないと思っていたら、テレビで300万円入る財布が
人気だと紹介されていました。あるところにはあるのですね。(@_@)
この”お嬢さん”はラジコンには全く興味がないので
大股開きで居眠りしていたのを"親分さん"が見とがめて”ひも”に対して
「だらしない格好させるんじゃない!」と、お説教していたそうです。
とても落ち着いてラジコン飛行機を飛ばせる状況ではないですね。
「事実は小説より奇なり」こんなこともあるのですね。(@_@)
大昔のことなので俺のことかと自分に言われても困ります。(^_^;
あなたのラジコンクラブの入会規定は大丈夫ですか?
うちのラジコンクラブにも約1名、そのような風体の人がいます。
身長175cm、体重80kgオーバー、ウエスト88cmで、お腹が出て格好悪いです。
金縁のメガネに黒い偏光サングラスをかけています。
本人はシャレていると勘違いしているのですが仲間から
「その帽子はやめたほうがいい」と言われて、しばらくかぶっていなかった
黒い麦藁帽子を懲りずにかぶっています。
それにラジコン専用の薄汚れたジャージといった風体です。
昔、FBIに[YAKUZA]と思われて職質を受けた前科があるのです。
《関連記事リンク》
●FBIに捕まっちゃいました ここをクリック してください。
そんなことを書いて大丈夫かって? 大丈夫です! 自分のことですから。
実態は腺病質の、ほうろう体質で病気がちの自分です。
酒も飲めない下戸です。
運動不足で出っ張ったお腹をした、いたって気の弱い善良な一市民なのです。
外見で判断しないでください。(泣)
ラジコンクラブの入会規定に、どう盛り込むか難しい問題ですね。(笑)
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