2000年8月のタイトル
上が最新となります。
2000/08/31■3億円ダイヤ詐欺事件
こんなことが世の中 実際にあるのですね。(@_@)
安サラリーマンの自分では考えられない裏の世界の驚くべき事実です。
北海道のカウンタック伯父から電話があったのです。 →遠くを見る眼('-'*)
話の内容は高級外車で知り合った人に市場末端価格3億円のダイヤを
売ってもらうことになり預けたら連絡がつかなくなったというのです。
まったく、人の良さに呆れちゃいます。(;_;)
東京青山のマンションに、いつ電話しても出なくなったそうで、
一度、行って様子を見てきてくれというものでした。
自分は金額の大きさに仰天して素人では手におえないから
詐欺事件として警察に届けたほうがよいのではないかと言いましたが、
何か事情があるのでしょうか兎に角、行って様子を見てきてくれというのです。
自分も教えられた電話番号にダイヤルしたのですが、
いつも呼び出し音しか聞こえませんでした。
仕方がないので自分達は、にわか探偵になって青山のマンションに行きました。
場所はすぐわかりました。高級マンションでした。
近くの喫茶店で作戦会議をしました。
訪ねていっても、たぶん出てこないだろうが、万一、出てきたら
相手は暴力団がらみだろうから、こちらは主旨を伝えるだけですぐ帰ろう。
ドアを開けても室内には入らず外に飛び出せる心の準備をしておこう。
若かったら妻は連れ去られて東南アジアに売り飛ばされるかも知れないのです。
太平楽な表の人生を歩んできた自分にとって、
この詐欺事件に関わることは相当のプレッシャーでした。
マンションのドアをノックしてもインターホンを押しても全く反応がありません。
何だかホッとしたりしています。(^^;;;
でも、このまま帰ったのでは二人して訪ねてきた甲斐がなく、
元気のないカウンタック伯父に報告できないので、このマンションの管理人を
訪ねて主旨を話して情報を聞いたのです。
管理人「あなたも何かひっかかったんですか?」
あそこの住人は先日、引っ越しました。どこへ行くとも告げなかったのですが、
引越しのトラックに日通海外引越し便と書いてあったそうです。
この住人は静岡の富豪の坊ちゃんで小さい頃から何不自由のない生活をして
いたそうです。大人になっても遊んで職につかなくとも
贅沢な生活をする習慣だけが身についてしまったとのこと。
見かけは、あなたと同じように上背があって体格がよく、おとなしい感じの人
なのですが、ゴミ出し日でないときにゴミを出していたので注意したら、
豹変して「うるせぇ、バカヤロー」 と怒鳴り、
凄みをきかせて、まるでヤクザでしたよと言うのです。
FBIに誤認されたことのある自分としては[YAKUZA]という言葉に敏感に反応します。
奥さんも派手な人で、いつも真っ赤なポルシェを乗り回して羽振りが良かった
とのこと。遠方から毎日、いろいろな人が「お金を貸したのだが返してくれない
連絡がつかなくなった」とひっきりなしに訪れていましたが
奥さんは居留守を使って決して応対しなかったそうです。
管理人「私もだいぶ泣きつかれましたよ。恥を世間にさらしたくないとか、
どうせ警察に届けてもお金は戻ってこないのだから、とか
事情がある人ばかりで泣き寝入りするしかないのでしょうか」
世の中には、そんな人が沢山いるものだと驚きました。(@_@)
馴れない探偵ごっこをしたので何だか、どっと疲れちゃいました...._| ̄|○
帰宅してから伯父に電話して、もう夜逃げ同然で引っ越してもぬけの殻だったこと。
行く先は告げてないので解らないこと。
他にも返済を求めてたくさんの人が訪れていたと管理人に聞いた話を伝えました。
カウンタック伯父は「そうですか、じゃ無理だな。ありがとう」と言ってましたが、
なんせ大金なので気落ちして変なことしないかと気が気ではありませんでした。
でも、これは取り越し苦労だったようです。
ほどなくして、また高級外車を買ったと伯母さんが母にこぼしていたからです。
カウンタック伯父にとっては3億円は自分の30万円と同じなのかもしれません。
自由経済の国とはいえ親戚でも貧富の差がありすぎます。(;_;)
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2000/08/30■御神輿野郎だったんです
会社の先輩は地元に帰ると町内会長で町の名士だったのです。(@_@)
しかも昔、自費で立派な御神輿を作っていて御神輿の会長でもあったのです。
今の時代に職人に製作を依頼したら○億円もするような立派な御神輿です。
自分は子供の頃、横須賀の追浜に住んでいました。
ここの雷神社の秋大祭は盛大で、御神輿を担いで町内を練り歩くのが夢でした。
その頃は担ぎ手の希望者が多くて、なかなか担がせてくれませんでした。
子供御輿を、たまたま担がせてくれた時のことです。
御神輿の休憩場所で、にぎり飯や麦茶をふるまってくれるのです。
キャバレーの前の休憩所では色水を飲ませてくれました。
自分は、あ〜大人はこういうところで美味しい水を飲んでいるんだと誤解しました。
実際は怪しげな女性の色香に魅せられて泡のでる酒を飲んで大金をはたかれ、
美味い汁を吸われる場所だと知ったのは、だいぶ後のことです。(^_^;
当時の大人御神輿は祭りの寄付を拒否した家の板塀を御神輿で壊したり
大変な暴れようでした。一説には建て替え予定の板塀を御神輿で壊してもらうと
縁起が良いので事前に、お金を渡して軽く壊すように頼んでいるという噂を
後で知りましたが真偽のほどは定かではありません。
とにかく当時でも交通量の多い中央通りを御神輿を担いで練り歩くのは快感でした。
会社の先輩に話したら「是非、遊びに来てください」と誘われたので行ったのです。
初めて行った時は驚きました。(@_@)
暴力団の兄貴が手下を引き連れて肩で風を切って歩いていたり、
水商売の姉御が色っぽい艶姿で店の女の子を連れて歩いていたり、
まるで任侠の世界に飛び込んだようだと思ったのです。
何となく恐かったです。
その後、何度も祭りに参加するうちに御神輿に関する様子がわかってきました。
暴力団関係者は、ごく一部で大半の人は堅気の商売の人だったのです。
角刈りの、いなせな兄ちゃんは八百屋や魚屋さんの若旦那だったり、
独特の髪を結い上げて細い鉢巻きのような髪留めをしている艶姿の女性は奥さん
だったり、お嬢さんだったり家族で参加している場合が多いということが
解ってきました。堅気の人達がほとんどだったのです。(^-^)
御神輿の正会員ともなれば御神輿をハワイで担いだり全国各地のイベントに
出かけるとか相当な物入りです。
安サラリーマンの自分は、とても、お付き合いできませんので、
名誉会員ということにしていただいて会費無しで年1回の御輿渡の行事のときだけ、
参加させていただいたのです。手土産は酒「剣菱」2本と決めていました。
よく「背が高くても御神輿担ぎは問題ないです。外人だって担いでいるのです」と
言われるのですが、とんでもないです。
中腰になって、いやでも肩に食い込む御輿棒を担いでいるとキツイです。
胸元をサラシでギュッと巻いた粋な若い女性も混じって担いでいますが、
彼女達は掛け声は威勢が良いのですが肩に負荷がかかっているようには見えないです。
背が低い人はぶらさがっているようにも見えます。(^_^;
真面目に担ぐ担がないに関わらず町内を一周したら足がパンパンに張って
帰りが、とてもつらかったのです。(;_;)
色男ではないのですが金と力がない自分は交通整理をしたり、ビデオカメラで
記録係をしたりして祭りに参加させてもらっていました。
要するに祭のそろいのハッピを着てワーワーやって楽しんでいたかったのです。(^_^;
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2000/08/29■かき氷
フランス料理とか高級料理には縁のない自分ですが
自分では食通だと思っているんです。
酒が飲めない、タバコも吸えない、麻雀、パチンコもやらない聖人君子で清らかな
自分にとって人生の楽しみとしてラジコンヒコーキ以外では食べることに
興味が、いってしまいます。日常の米や食べ物には結構うるさいのです。
時節がら、かき氷なんてどうでしょう。
え? かき氷が食通の対象なのかって所詮、自分の場合はこんなもんです。(^^;;;
独断と偏見でご紹介させていただきますが、ほとんど押し付けです。(;_;)
かき氷といってもカップラーメンのような発泡カップにプラスティックの
スプーンがついたフラッペと称するものは問題外です。
紹介するのは栃木県那須郡烏山町で焼きソバと夏場は氷もやっている小さなお店です。
氷は天然氷です。昔ながらの氷かき機に載せてガリガリ回して氷を作ります。
ちょっと粗目の氷でシャキシャキします。氷はこうでなくちゃ。(^-^)
蜜は煮詰めて作った自家製です。できあいのシロップをかけるのとはわけが違います。
ガラスのいれ物に金物の匙をつけて山盛りで出してくれます。
この店のかき氷のファンは結構多くて口コミで遠くからも訪ねてくるとのことです。
駐車スペースは道路沿いに2〜3台停められます。
栃木県烏山線の終着駅の「山あげ祭り」で有名な烏山駅の近くです。
駅から3分くらい歩いたところの郵便局が目印です。
道路を隔ててそのお店はあります。夏場は氷と染め抜いた小さな旗が目印です。
この店のご主人は草笛吹きのボランティア活動により表彰されている方です。
おじいちゃんとおばあちゃんの2人で昔ながらにお店をやっているのですが、
最近は健康が心配です。
毎年行って「ああ今年も無事やっているな」と胸をなで下ろすのです。
運が良かったら少し粗目にひいた絶品のかき氷が食べられるでしょう。
お薦めはやはり定番の「氷あずき」でしょう。
コンデンスミルクをたっぷりかけた、しつこくない甘さの小豆を食べる時は
今年もこの氷を食べられることの幸せを感じます。
忠告ですが焼きそばもやってますが、味は期待しないほうが良いです。
《管理人追記》
現在は、お店やってないようです。 ← 実に気の毒です(^^)
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2000/08/28■自転車ごと崖から落ちちゃいました
友人が家業の電気店を継ぐために徳島の実家に帰ったのです。
一度、遊びに来ないかと誘われていたので四国旅行に行ったときに、
阿波踊りを見るついでに立ち寄りました。
訪ねて行ったら本当に山の中の田舎でした。(@_@)
ハイテク技術をマスターした優秀な彼の就職先としては如何にも不釣合いでした。
「片田舎だから驚くよ」と言っていた彼の言葉は本当でした。
「これからは田舎でも情報を得られる時代が来るから大丈夫だ」と訳のわからんこと
を言っていたのは現在のインターネット時代が到来する30年も前のことです。(@_@)
自然の環境が素晴らしく、便所の手洗い用に裏山から引いた竹で作った樋の中の
綺麗な水の中を小さな鰻が泳いでいたのを見て驚いたのを覚えています。
渓谷の魚をとりに行こうということになり、二人で自転車をこいで、
更に山奥に入っていきました。ついた先の渓谷は、とてもきれいなところでした。
水深は数mありそうですが日の光が底まで届いて、とても明るい淵でした。
魚もいっぱい泳いでいました。
あまり透明度が高いので何だか断崖絶壁から覗き込むようで恐かったです。
魚をとることについて、ひるんでしまった自分です。
大汗かいてやってきたのに見るだけとは我ながら実に情けないです。(^_^;
この時は、その後にアクシデントが起こるとは予想だにしていない自分でした。(^_^;
帰りの山道は下り坂が多いので楽でした。
友人の後について快調に山を降りていきました。
狭い山道なので小さな車1台がやっと通れる幅しかありません。
右側はガードレールがない石垣の崖で杉の木のこずえが下に見えるような
高い場所が続いています。
間が悪いものでカーブのところで下から軽トラックがやってきました。
すれ違うために自分たちは道の端に寄って、やり過ごすことになります。
友人は山側に自転車を寄せて止まりました。
自分も山側で待つべきだったのですが右側通行だからと右に寄ってしまいました。
つまり、崖の縁で自転車に乗ったまま止まったのです。
ふと、足元を見ると杉の木々のこずえが下に見えました。結構高いです。
「こんなところで落ちたら大変だ」と谷側で待ったことを後悔した次の瞬間、
バランスを崩して自転車もろとも落ちたのです。
しまったと思いましたが、もう映画の転落シーンを見ているようで
緑の木が下から上に、すっ飛んでいくのが見えました。
このまま自転車と一緒に落ちたら大変だと思い、落ちながら自転車を
足で蹴飛ばしたのを覚えています。我ながらたいしたものです。
しょうもない事を自慢しています。(^^;;;
「ドスン」と衝撃があって地面に着地したようです。
ほぼ同時に少し離れたところに「ガチャン」と自転車が落ちました。
危なかったです。(^_^;
足の左ひざと右の肘、おでこの3点着地姿勢で幸運にも落ち葉で
フカフカになった地面に落ちたのです。
そのままの姿勢のままシーンとした時間が一瞬流れたようです。
石垣の上から「お〜い、大丈夫か〜」と呼んでいる友人の声が聞こえてきました。
途絶えていた周りの音が一気に戻りました。
「大丈夫だよ〜」大丈夫かどうかわからないのですが生きていることを
伝えなくてはと必死で叫んだのです。
その時は、気が張っていて無傷だと思っていたのです。
ほぼ垂直に切り立った石垣の壁を登るのは大変でした。
軽トラックを運転していた、おじさんが垂らしたロープにつかまって、
やっと登れました。このおじさんも、さぞ驚いたことでしょう。
軽トラックの助手席に乗っていた、おばさんは、車から降りもせず、
平然として一言も声をかけませんでした。あきれました。
まだ、オバタリアンという言葉が流行る前のことです。(;_;)
その後、引き上げてくれた自転車に乗って再び、山を下りました。
途中の小川で打撲したところから出血していた血を洗いましたが、
この頃になって特に左ひざが猛烈に痛くなってきました。
考えてみると、あれだけの高さのところから落ちてよくこれですんだものです。
旅の続きとして京都に行く予定でしたが足が痛むので家に帰りました。
そして約半年間も足を引きずって歩くことになったのです。(;_;)
道をゆずるときには安全をよく確認してから行動するという事を身体で覚えました。
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2000/08/27■僕、撃たれちゃったの
小さい頃にアメリカさんに散弾銃で撃たれた話を母に話したのです。
高齢の母は40年後に初めて知った事実に驚いていました。そして
「子供はどこで何をしているのかわからない死んだら神隠しだ」と言いました。
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似たような話として今は亡き従兄弟の話をしてくれました。
この場合は近所の悪ガキが従兄弟が、さしていたコウモリ傘をねらって、
空気銃で撃ったら眉間に命中したのだそうです。
眉間に穴があいて血がポロッ、ポロッと玉のようになって出たのだそうです。
従兄弟は家へ帰って「僕、撃たれちゃったの」と言ったそうです。
それを見たお母さんの顔色が一瞬、真っ青になり、そして大きく目を見開き、
次に真っ赤になり、そして、また真っ青になって「キャー助けて」と
叫んだそうです。
あんなにも瞬時に顔色が変わることに母は驚いたそうです。
祖父が医師だったので、すぐ手当をして幸いにも一命を取り留めたのです。
その後、健やかに成長して脳外科医師として徳島の大病院の院長をしていました。
「医は仁術」というのを実践して患者さんから拝まれるような素晴らしい
医者だったそうで親戚として誇らしく思っていました。
残念ながら近年になって病に倒れ亡くなってしまいました。ご冥福を祈ります。
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2000/08/26■衝撃のUFO目撃記
自分はUFO(未確認飛行物体)の存在については否定も肯定もしません。
でも、広い宇宙に自分達だけが高等生物であるということは考えにくいと思います。
自分たちより進化した高等生物が存在しないということはないと思うので、
存在しても不思議ではないと思っているのです。
しかし、テレビ番組の特集でやっているようなUFOを呼び寄せるとか、
UFOと交信したとか遠くの物体が通常の動きではないのでUFOだとか決めつけるのは、
かえって信憑性をなくしてしまうと思います。
幽霊と同じく、この目で見なければ済まない自分としてはUFOの存在は
否定しないものの、確認するまでは肯定もしないといったスタンスだったのです。
それがついに目撃することになるとは思いもかけませんでした。
数年前のことです。家族スキー旅行の帰り道のことでした。
東北自動車道の上り車線を走っていたとき突然、子供が「UFOだ!」と叫んだのです。
場所は佐野サービスエリアを過ぎたあたりだったと思います。
日没で山々のシルエットが水墨画のように浮かびあがり幻想的な光景でした。
右手はるか遠く明かりがつき始めた町の上に葉巻状の光る物体が小さく見えました。
だんだん近くまで走ってきたので様子がわかってきました。
UFOのようなものは街の明かりの真上を浮かんでいます。
「これじゃ、あの町の人も大騒ぎだろうなぁ」と自分が言いました。
よく見ると、明るい光が左から右に回転しています。かなり派手なUFOです。(^^;;;
車を運転しているので、よく見られないのが残念ですが、かといって高速道路のわきに
車を止めて見物する危険を冒してまで見ようとは思いませんでした。
しかし、遂にUFOを目撃したのだと思うと身体中のアドレナリンが
ドッと流れ込んだようで興奮しました。
それにしてもあまりに堂々と浮遊しているのです。
そのうちに「あれは飛行船じゃないの?」電飾で飾りたてて
宣伝飛行しているのではないかとの見方に変わってきました。
夏の時期は自宅の上空にも「なんたらドライ」や「かんたらウェット」と
派手に書いた競合ビールの飛行船が入れ替わり立ち替わり飛来していました。
横浜ベイブリッジの橋のたもとに飛行船の基地があるので頻繁に飛んでいたのです。
その時は家族みんなの意見で「電飾飛行船」ということで落ち着きました。
あれから数年経ったのですが自分はいまだにこのような派手に電飾で飾りたてた
飛行船を見たことがありません。話題にもなっていません。
本当に、こんなのがあるのかと疑問に思ってしまいます。
横浜や東京では夜間に、このような電飾飛行船が飛んでいるというのを
聞いたことがありません。
自分たちが目撃した電飾飛行船は佐野や館林あたりでは当たり前なのでしょうか?
最近になって常識で決めつけた結果について自信がなくなってきました。
是非とも本物のUFOを見たいものです。 →遠くを見る眼('-'*)
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2000/08/25■アインシュタインの脳みその価格
この小話を友人から聞いたときは、おかしくて腹を抱えて笑ってしまいました。
面白いと思った話を他の人に伝えると色褪せて面白くもなんともないということが、
よくあるのです。これは当事者の現実感の差ということも多分にあると思っています。
この話を自分が、どの程度伝えられるか自信がありませんが思い出して書いてみます。
ある雑多マーケットの片隅に珍しいものが並べて売られていました。
珍しいものが、いろいろありますが何と言っても珍しいのは脳みそ売り場でしょう。
猿の脳みそは食用として売られてるのですが
何と!人間の脳みそを売っていたんです。(・∀・)マヂっすか〜
計り売りして値段は高いのから安いのまでピンキリなので売り子にたずねました。
A「この1g10,000円と1g1,000円のは、どう違うんですか?」
B「あぁ、それですか。高いのがミュージシャンで安いのはアインシュタインです」
A「どうしてミュージシャンの脳みそがこんなに高いのですか?」
B「そりゃ、あなたミュージシャン1人から、どのくらいの脳みそがとれるのか
考えてみてくださいよ」
この話をしてくれた当人がミュージシャンだったので現実感があったのです。
サラリーマンの自分が文章で、そのおかしさを伝えられるのか自信がありません。
自分の脳みそも一部のミュージシャンと同じく高価なのでしょうか?
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2000/08/24■お母さんに叱られます
20歳前半の頃の話です。
夏休みを利用して友人と友人の親戚がいる大島に遊びに行きました。
行くときは憧れの木村秀正氏設計のプロペラ旅客機YS-11に乗りました。p(^o^)q
機内が案外狭かったことと。座席が主翼の真上でミシミシ鳴るので不安だったこと。
おばさんスチュワーデスに聞いたら「大丈夫です。これで落ちたことはありません!」
と言われてしまいました。そりゃそうだ。落ちていたら、この人はいないのだから
YS-11の主翼がバンザイして墜落したと聞いたことがないのですが気になりました。
無事ついた大島は、まだ観光開発がすすむ前で、のどかなところでした。
泥棒がいないので家の鍵をかける習慣もないと聞いて妙に感心しました。
一周まわっても、わずかな距離の大島ですが折角、来たんだからと友人の親戚から
借りたポンコツ車で見物してまわることになりました。
とは言っても降りてみるような見所は、な〜んにもないのです。(^_^;
とてもきれいな海、海岸線と切り立った崖が続いているだけです。
目がまわりそうな強烈な日差しのなかを中学生くらいの女の子が道を歩いていました。
運転していた友人から「可哀想に、声をかけてやれよ」と言われて、
こういうのは苦手だし何だか気がすすまないなぁと思いながら
渋々、助手席の窓から顔を出して「乗っていかない?」と
極めて優しく声をかけました。
返ってきた言葉が「お母さんに叱られます!」でした。(T_T)ノ
アハハ(笑) 笑うっきゃなかったです。
これではまるで自分は誘拐犯です。
女の子の扱いは難しいということを知りました。
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2000/08/23■あの、もういいです
高校生のころ都電(路面電車)に乗って通学していたときのことです。
自分は学校帰りの都電の中で立っていました。
いつものコーナーで「ガタン」と大きく揺れた時に若くてきれいな、
おねえさんがよろけてきました。
「危なぃ!」とっさに自分はしっかり抱き留めてあげました。(^-^)
ややあって、その女性が発した言葉は、何と「あの、もういいです」(^^;;;
てっきりお礼を言われると思っていた純真な高校生の自分は
頬から火が出るほど恥ずかしかったことを、いまだに覚えています。
女性は、いったい何を考えているのか解らんと思いました。
それにしても若干、抱きとめていた時間が長かったようです。(^^;;;
女性の扱いは難しいということを知りました。(;_;)
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2000/08/20■日光山 輪王寺 大猷院廟奥の院 350年目の初公開
日光山 輪王寺 大猷院奥の院 350年目の初公開、今度の公開は
50年後というので、この機会を逸してはならないと思い、見物してきました。
徳川家光公350年御遠忌350年目の初公開
世界遺産 日光山輪王寺 大猷院廟奥の院
期間限定初公開 2000年4月21日〜11月2日
■交通情報
東北自動車道-日光宇都宮道路-日光IC-119号道路
■駐車場情報
1.無料駐車場:無料送迎バスあり。
119号道路を走ると東照宮を直前に見て道路は左右に分かれます。
日光橋を右折して案内板に沿って気が遠くなるほど走って山の中に
広大な駐車場があります。ここから大型バスで輪王寺まで送迎してくれます。
2.市営駐車場(道路を挟んで左右に有り)
日光橋を左折して120号道路を走るとほどなく左右にあります。
早く着いて空いているようなら近くてお薦めです。(1回500円)
左側の駐車場は駐車待ちの列は作らせず先に行かさせられてしまいます。(;_;)
右側は駐車待ちの列ができてます。
自分はグルリとまわって、この駐車場を目指しましたが、とんでもないことに(;_;)
この列の近くに近くの私設の有料駐車場(1時間500円の暴利)に誘導する
おばあさんが車に近寄ってきて、しつこく声をかけてくるのです。
自分は、こういうのが大嫌いなので車の中から大きく手を左右に振って
アクセルを踏み込んだら市営駐車場の順番待ちの列を通り過ぎてしまったのです。
後ろも横も大渋滞で、とても戻れません。最悪です。(;_;)
仕方が無く日光橋の先の無料駐車場まで渋滞の列に従って行ったのです。
皆さんも、こういう強引な、やり手ばばあにご注意ください。
■見学ポイント
1.輪王寺(拝観料1,000円)
・逍遙園:庭園が見事です。
・宝物殿:家康公座像
2.大猷院廟
・本殿:人でごった返しているが座って聞く坊さんの説明が実に面白い。
・奥の院(拝観料別途500円)お目当ての白門(皇嘉門:竜宮門とも言う)
3.東照宮
・陽明門:修学旅行の時を思い出しました。
・鳴龍:久し振りに残響を聞きました。
・ねむり猫:裏の2羽の雀を見たくて別途料金を払って見たが(;_;)
・水盤舎:小さいけど修復費用がここだけで1億円だそうです。
・三猿
テレビで宣伝していることもあり大変な混雑なので早目の到着が良いです。
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2000/08/19■人殺しぃ〜ギャー
凄い予告タイトルなので気になって眠れない方がいると思い
最優先で取り上げました。これも実際にあったことです。
それにしても何というタイトルなんだろうと自分でも思います。(^_^;
真夜中に喧嘩のような言い争いをしている声が微かに聞こえてきました。
我家から2軒離れた道路のようで離れているのですが目が覚めてしまいました。
うちは遠いので苦になりませんが近所の人はさぞ迷惑なことでしょう。
怒号が飛び交っていたと思うと「人殺しぃ〜ギャー」という断末魔のような
声が聞こえたのです。
それからは、ぷっつり喧嘩のような声が、しなくなりました。
やれやれ静かになったと思い、ぐっすり寝てしまった自分です。オイオイ(^_^;
事件の様子は翌日わかりました。
表の道路に車でやってきた親子が口論となり息子が父親の胸を包丁で
刺したのだそうです。幸い、急所をはずれて胸に包丁を刺したまま
フラフラと歩いていたところをパトカーにより保護されたとのことです。
新聞の地方版を探しましたが死ななかった場合は記事にならないようです。(^_^;
近くの人は、また酔っぱらいが騒いでいると気にも留めなかったそうです。
痴漢に襲われたり、強盗にあって人を呼ぶ時には「人殺しぃ〜」などと言っては
いけません。誰も怖がって表に出てこないそうです。
万一遭遇したときには、こう叫びましょう。火事だぁ〜
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2000/08/18■世にも不思議な話(猫)
世の中には常識では理解できないことがあります。
近所の商店街通りを自宅に向かって車を走らせていたときのことです。
片側1車線道路で対向車線は渋滞した車の列が続いていました。
渋滞で停止している対向車の下を見ると猫がうずくまっているのが見えました。
車が動き出したら轢かれてしまうかもしれません。
慌てて車を運転している男の人に「猫が車の下にいますよ〜」と教えました。
驚いたことに助手席の奥さんが「あら、ついてきちゃったのね」と言って
ドアをあけて出てきたのです。
いったい、どこから車の下についてきたというのでしょうか?
匍匐前進のようにして近所の家からついてきたのでしょうか?
妻と顔を見合わせて驚きました。(@_@)
商店街なので近くに民家や駐車場は道路に面していない場所です。
車の下にいた猫に驚きましたが、その奥さんの言葉に更に驚きました。
自分達の車の列が進んでしまったので、その後はどうなったかのかは知りません。
猫を抱き上げて車に乗せて行ったのでしょうか?
今でも時々、妻と話題になりますが永遠の謎です。
考えると眠れなくなっちゃいます。(^^;;;
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2000/08/17■事実は小説より奇なり(ガス編)
昔、自分が横須賀に住んでいた小学生の頃の実話です。
近所でボヤ騒ぎがあり、あとで出火原因を聞いて驚きました。(@_@)
何と、その家の、おばさんがテレビの中に溜まったホコリを取り除くために、
ガスホースを引いてガスの噴射の勢いでホコリを吹き飛ばしていたら、
引火したと言う、にわかには信じがたい事がわかったのです。(@_@)
そういえば以前にも時々、ガス臭いとの通報があり、ガス会社の人がガス漏れ調査に
きていたそうです。近所迷惑な話ですね。
その、おばさんは「今までは大丈夫だったのに〜」とぼやいていたそうです。
反省の色がありません。いずれ、またやるでしょう。イヤハヤ o(;-_-;)o
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2000/08/13■レジの驚くべき注意書き
会社近くの雑貨店のレジカウンターの横に掲示されてあった注意書きです。
"お客様へ"
当店では一度お買い上げになった品物の返品、交換は、いかなる理由があっても
応じられません。大声でおどしてもダメです。泣いてすがってもダメです。
お買い上げの際には、ご自身で充分、ご確認の上、お買い求めください。"店主"
このお店には「何でもあります」と書いた大きな看板が出ていたので、
模型飛行機で使う細いニューム管があればと思って入ったことがあります。
工事用の資材は、たくさんありましたが肝心のものは無かったのです。
在庫していないか、美人の女店主に聞いたところ
「うちは模型屋ではないので置いてません!」
と恐い顔して言われてしまいました。
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2000/08/12■ちょっと北極へ
T田さんとはアマチュア無線のローカル局として知り合いました。
O江さんを中心とした当時の「タヌキクラブ」仲間です。
T田さんは地球規模の活動をされているので電話の内容も変わってます。
自分「お久しぶりです」
T田「うん、ちょっと北極へ行っていました」
自分「え?北極???」
北極とか南極は自分にとっては旅行という概念からはずれているんです。
堀江健一の北極ヨット横断にカメラマンとして随行したんだそうです。
東武動物園程度しか行けない自分には、この会話にはついていけません。(^_^;
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2000/08/10■鬼やんまの捕まえ方教えちゃいます
大型トンボとしては鬼やんまトンボと銀やんまトンボがいますが、
なんといっても黒白ダンダラの鬼のパンツのような「鬼やんま」は
大きいこともあり人気です。
読者の、お父さんにサービスとして、この鬼やんまの捕まえかたの
秘伝を教えちゃいましょう。
大型トンボの彼らの習性として飛んでいる小さな虫を捕食するための
狩りのコースがあるのです。
縄張りも含めて決まった飛行コースを飛んでいるのです。
まず、この飛行コースをよく観察します。
あまり高度が高いと捕まえにくいです。
鬼やんまは気温の変化に対応して飛んでいるので平地のようなところでは
高く飛びます。一方、大きな樹の横は気温が比較的低いのと気流の関係で
低いところを飛ぶ場合が多いです。このような場所を選んで待機するのです。
用意するのは高さに見合った長さの補虫網です。
鬼やんまは決まった飛行コースを、わき目もふらず飛んできます。
網のかぶせ方にコツがあります。
前からでは簡単に上に逃げられちゃいます。
後ろからでは鬼やんまのスピードについていけません。
飛ぶスピードを計算して斜め前から一気に網をかぶせます。
ベテランは真横からサッと軽くかぶせるのですがタイミングが難しいです。
獲った鬼やんまは羽を痛めないように優しく扱いましょう。
しばらく眺めて周りの友達に自慢して見せたら放してやりましょう。
虹マス釣りのリリースのようで気持ちがよいものです。(^-^)
鬼やんまは、しばらく近くの樹のうえで休んで日光を浴びて
体温が高くなったら再び元気に飛びます。
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2000/08/08■オートキャンプの旅(東北南部)
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2000/08/07■なんだか得した気分です:セブンイレブン
会社の近くの駅に降り立ったら思いがけず、どしゃぶりの雨が
降ってきました。不意の雨でも用意の良い自分は、いつもは小さい折り畳み傘を
携帯しているのです。
しか〜し、カバンの中を探ってもどういう訳か傘が無いのです。
毎日持ってきているのに〜 でも、いくら探してもありませんでした。
先日の夕立ちの時に自宅で干して、そのままだったようです。
肝心の時に物の役に立たないのです。(;_;)
駅の小さな売店の傘は既に売りきれていました。
駅前のコンビニに走っていきましたが開店時間前なので閉まっています。(;_;)
仕方がないので駅まで走って逆戻りしましたが、先程、改札口の雨宿りの小学生と
父兄の集団が出口をふさいでいたので邪険に押しのけて走り出た手前、
今更、おめおめと戻れないのです。見得もあります。
駅前のさびれた食堂の、ひさしの下でしばらく雨宿りすることにしました。
時間はまだ、たっぷりあります。
遠くの空には晴れ間もあるので、じきに雨はやむと、その時は思ったのです。
朝のテレビ番組の天気予報では今日は快晴で猛暑になると言っていたのです。
夕方は雨が降ることもあると言っていたのですが
早朝から雨が降るとは言っていませんでした。
隣に男の人が並びました。お互いに時々、空を見上げてます。
女の人だったら、これがきっかけでロマンスが芽生えることもあるのでしょうか。
しかし、待てど暮らせど雨は激しくなるばかりで、やみそうもありません。
かれこれ20分もここで待っているのです。
男の人は少し雨が小やみになったときに駆け出して行っちゃいました。
入れ替わりに派手な女の人が駆け込んできました。
見るともなく顔を見て驚きました。あかんべをしているのです。(@_@)
よく目を凝らしてみたら切符をくわえたままだったんです。
興ざめしちゃいました。(;_;)
7時になったので目の前のハンバーガー店が開店しました。
会社の食堂で朝食をとるために早く出勤している自分は雨宿りも兼ねて、
ここで朝食をとることにしました。ここで食べるのは初めてです。(^-^)
2階の見晴らしの良い席で、ゆっくり食べながら雨があがるのを待っていました。
いつもはガラ空きだと思われる早朝の店内は先程の小学生の集団が
雨宿りに入ったので、にぎやかです。
目の前のコンビニに目をやると、女の人がドアを開けて飛び込んでくるお客さんに
傘を渡していました。
コンビニは「新装開店するために休業中」との貼り紙が貼ってあります。
これでは傘も買えません。
ところで、次々に飛び込んでくる人に手際よく傘を渡しているのは何なのでしょう。
受け取ったほうも当たり前の顔をしてます。
駅前の店なので、このような置き傘預かりサービスでもあるのでしょうか?
女の人には花模様の傘を渡して、受け取ったほうも笑顔で傘を受け取っています。
かれこれ30人は渡したでしょうか。
観察していると店の前で雨宿りした人にも女性は声をかけて傘を渡しているようです。
誰にでも傘を貸し出しているようです。
しめた!僕も貸してもらおうと思って店を出ようとしたら、
何とコンビニはドアを閉じて女性もいなくなってしまいました。
貸し出す傘が底をついたのでしょうか。
なんてこった。もっと早く行けば良かったと悔やみました。(;_;)
どしゃ降りの雨は一向に止む気配がありません。(;_;)
その時、あの女性が数本の傘を持ってきて再び傘を渡し始めました。
自分は傘が無くならないうちにと慌てて店を出てコンビニに駆け込みました。
自分「傘を貸していただけるのですか?」
女性「壊れた傘で申し訳ないですが」と言って傘を差し出してくれました。
自分「この傘は帰りに返しにくれば良いのでしょうか?」
女性「これは捨てる予定の傘ですのでどうぞ、そのままで結構です」と言うのです。
素晴らしいサービス精神です。
この話にはおまけがあります。(^-^)
自分が持っていた傘より上等な傘をいただいて会社に向かった自分の前に
雨に打たれて歩いている若い娘さんがいました。
声をかけて嫌われたら嫌だなと思いながら
「よかったら近くまで傘に入りませんか」と言ったのです。
「ありがとうございます」素直な娘さんで良かった。同じ会社の人でした。
途中で雨があがってしまいましたが相合傘のまま会社に着きました。
すがすがしい1日の始まりです。
これからはセブン・イレブンで買い物をしょうと思います。
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2000/08/06■オートキャンプの旅(四国)
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2000/08/05■早朝6時の大バトル
会社食堂で朝食をとるのが永年の習慣となっている自分は出勤時間が早いです。
食後は、ゆったりくつろいで思いつき日記のネタを書きためるのが最近の日課です。
早朝とはいっても、それぞれ早く出かけなければならない理由がある人で
電車はいっぱいです。いつも座って眠っていけるとは限らないのです。
自分の場合は、ふくらはぎを傷めた過去の傷を背負っているので
帰りは無理でも朝の出勤の1時間半は座らなければならないのです。(きっぱり)
1本目の電車と乗り換え3本目の電車は余裕で座れますが
問題は一番距離が長い2本目の電車です。
そこそこ空いた座席があるのですが、かなり無理しないと座れないのです。
なんとしても座らねばならない自分は乗り換え時にダッシュすることになります。
ハンディがあっても健常者に負けていません。(^_^;
当面のライバルは2人いるんです。ライバルって(^_^;
1人目は50歳代のザンバラ髪のリュックを背負った、おばちゃんです。
自分の指定乗車口よりひとつ手前が”ザンバラさん”の定位置なので
棲み分けができています。
ところがある日、ザンバラさんが何を思ったのか自分の指定位置に
並んだことがありました。おかげで自分は座れませんでした。(;_;)
当然、リベンジは翌朝しました。
ザンバラさんの定位置に早く着いた自分が並んだのです。
その結果、ザンバラさんは座れなくて立っていました。
この早朝時間帯においては優先席やシルバーシートという概念はないのです。
治外法権、弱肉強食の世界です。(^_^;
その後、暗黙の相互不可侵条約は破られることはなく平穏な日々が続いていました。
ところが、平穏な日々は長くは続かないもので、ある日、強力なライバルが
出現したのです。彼もあちこち座席が空いている場所を探して放浪の末に
たどり着いたのでしょうか、若くて体格も良く強敵です。
いつもピンクの半袖ポロシャツを着ています。
足にハンディがある可哀相な自分は例によって座席を確保するために
猛ダッシュするのです。連絡階段を1段飛びで駆け上がるのです。
オイオイ。どこが不自由なんだか(^^;;;
今までは、これで他の追随を許さないので先行逃げ切りでしたが、
”ピンク”も若いので1段飛びで駆け上がるのです。なかなか健脚です。
若いのやるな。お互いに意識して熾烈なデッドヒートを演じます。
目標は共に同じ乗車口です。(^^;;;
一つ手前のザンバラの指定位置は、まだ誰も並んでいなくとも少し遅れてくる
ザンバラさんのために心優しい自分としては並ぶわけにはいかないのです。
ある日、いつものようにデットヒートを演じていた時のことです。
ピンクが牽制するためにチラッと自分を振り返って見たのです。
この時、思わず「ギョッ」として歩みを緩めてしまったのです。
メガネの奥で不気味に光った目は、とてもこの世のものとは思えなかったのです。
どこかで見たことがあります。 →遠くを見る眼('-'*)
2〜3日して、やっと思い出しました。
アーノルドシュワルツネッガー主演の映画「プレデター」で人間を喰う異星人の顔です。
当然、フィクションで作り上げたものとばかり思っていたのですが、
モデルとなる顔が実在するとは夢にも思っていませんでした。
その顔を垣間見た自分は以後は決して追い越すことはなくピンクの後ろに並ぶのです。
シュワちゃんのように一命を賭して戦うのは自分には無理ポ…_| ̄|○
会社の夏休みが終わり、再び通勤ラッシュが始まりました。
休み明け初日はザンバラさんは髪型を短くスッキリしてきましたが、
ピンクのポロシャツのプレデターの姿が見えません。
夏風邪でもひいたのかとちょっと心配
翌朝、プレデターはいました、健在でした元気で良かった。(^-^)
牽制の不気味な一瞥をくらった例の一件があるので
決して追い越すことはなくプレデターの後ろに従う自分です。
3人が1列になってトップ集団を形成しています。これじゃ、まるで駅伝だ(^^;;;
ところが、いつもの乗車口に先着の、おじいさん2人が、すでに並んでいました。
手前のザンバラさんの場所は誰も並んでいないのですが義理と人情の世界では
掟を守るのが美徳なのです。当然、ザンバラさんのところに並んだりしないのです。
実際は、そんなたいそうなことはちっとも考えていなくて、いつものところ、
いつもの席に座るというワンパターンで行動しているだけの自分なのですが(^_^;
2人の、おじいさんを見てプレデターはあきらめて、もう一つ向こうの乗車位置に
行っちゃいました。そこは右側しか座席を狙えないので厳しい場所なんです。
自分は2人の、おじいさんのどちらの後ろにつくか長年のカンに頼り、一瞬の判断で
決定しなければならないのです。たいそうな(笑)(^^;;;
考える時間はないので、とりあえず右側のおじいさんの後ろにつき、
じっくりと観察しました。2人の歳は60歳後半で体力的には、ほぼ同じと見ました。
この場合一番大事な要素はどちらが俊敏に車内へ乗り込むか見極めることにあります。
意欲と行動力があるかということを判断基準に照らして少しでも有利なほうの後ろに
つくことが二番手の自分が確実に席を確保できるかどうかという結果につながるのです。
この場面ではOKかNGしかない、0または1のデジタルの世界なのです。オーバーな(^^;;;
2人ともラジオの片耳イヤホンをしていますので集中力は同じでしょう。
左の人は律義な性格だとみえてカバンを肩にかけて姿勢を正して待っています。
自分の前の、おじいさんは布バックを足元においてダランとして立っています。
容貌はいつか教科書で見たネアンデルタール人そのもので下あごが
異常に発達していました。口をポカンとあけているのを見て「しまった」
選択を誤ったと思いましたが、後ろにも並んでいるので今更、変更できません。
ところが電車が到着するアナウンスがあったら”ネアンデルタール”は
ポカンとあいた口をキュッとしめ、布バックを小脇に抱え一歩前に出て
乗車するぞという体勢に入り意欲満々の顔になったのです。
かくして自分は座ることができたのです。(^-^)
今朝もまた同じパターンなのでしょうか?
3人1列となって指定場所へ向かうところは、いつもと同じです。
でも、最近は自分が全力で走らないので”プレデター”も”ザンバラさん”も
安心しきってスローペースなんです。
プレデターと並んじゃいました。相手は油断しきっています。
たまには自分も意欲のあるところを見せようと少し前にでたら、
猛然とダッシュして前をふさがれました。そこまでやるか(≧ヘ≦) ムゥ
自分も日ごろ鍛練しているので抜き返すのは、めじゃないのですが、
この世のものとも思えないあの目を見るのが嫌なので歩調を緩めてしまいました。
早い話が、負け犬の自分です。駄目ポ...._| ̄|○
いつもの乗車口の位置には昨日の、おじいさん2人が既に並んでいました。(;_;)
この人達もいつのまにか、このラッキーゾーンを見つけたライバルだったのです。
油断もすきもありません。しかも、だいぶ前から並んでいるようです。
これじゃ勝ち目はありません。
そういえばプレデターは電車が着く時にドア越しに緊張して目線を向けていたのは、
この、おじいさん達がホームに立っているか確認していたのですね。
いまごろ気がついた自分です。(^_^;
さすがのプレデターもあきらめて左に並んでいる”律義さん”の後ろに並びました。
誰だって口をポカンとあけた人の後ろにはつきませんよね。これが違うんだな。
自分はネアンデルタールの後ろに並んだので今日も余裕で座席に座れたのです。
人は外見で判断してはいけません!(笑)
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2000/08/04■痴漢もどき
3時間も残業して遅くなってしまった帰りの電車内のことです。
酔っ払ったオジさん達が声高に話しています。
聞くともなく聞こえてきた話の内容は”痴漢と疑われたらどうなるか”という話題で
「結局、訴えた女の子の懐に、お金が入っちゃうんだよね。最近の高校生は恐いね〜」
というものでした。
「そんなことになったらホントかどうかは関係なく会社はクビだよクビ」と
相棒が言ってます。
その後に乗った東海道線は超満員で、すし詰め状態でした。
ギュッとキツイひと揺れがあった後に「シクシク」という泣き声が聞こえてきました。
振り返ると太った若い娘さんが、うつむいて泣きじゃくっている顔が見えました。
すっぽり抱きかかえるような格好の痩せた男がいます。
こいつが痴漢かと思いましたが、どうも様子が変です。
男は混んでいる車内で少しでも娘さんから離れようと、もがいているように見えます。
オイオイ、痴話喧嘩じゃないだろうね。o(;-_-;)o
この時間になるとホームで泣きじゃくっている女の子と困った顔の男を見かけるのです。
そのまんま乗り込んできてもらっては困ります。こちとら疲れてるんですから。(;_;)
車内は超満員であるのにもかかわらず、し〜んと静まって重苦しい雰囲気です。
誰もが関わりたくない雰囲気です。次の駅でドッと乗り換える客が降りました。
次の駅で自分が降りるときに、あの痴漢もどきの男が一人で降りるのを見ました。
どうやら痴漢とは無関係だったようです。
彼は突然泣き出した娘さんに、はからずも、ぴったりくっついていたので
あわてて逃れようと必死でもがいたようです。
痴漢だったら当然、許せないのですが、ただ押されたからって、泣くのなら、
あの娘も無理矢理、混雑している電車に乗り込んでこないで欲しいです。
彼も会社をクビになる被害者だったかもしれません。
もがいた時に彼の痩せた肘鉄を何度もくらった自分も二次被害者です。(;_;)
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2000/08/03■散弾銃で撃たれちゃいました
小学生の頃、住んでいた横須賀は、まだ占領軍のアメリカさんが、
我が物顔でジープで走り回っていた時代でした。 →遠くを見る眼('-'*)
近所は山が連なり元気な自分は山野を駆けずり回って遊んでいたのです。
ある時、山の奥の切り通しがある工事現場の上の藪を、やぶこぎしながら
進んでいた時のことです。
下のほうで時々、工事のハッパの音がしていました。
(注)ハッパとはダイナマイトの爆発による工事のこと。
目の前の藪一帯が「バッ」というか「ザァッ」というような音がしたのです。
その時は何が起こったのか、わかりませんでした。
その後、切り通しの工事現場まで降りたら造成工事現場には
工事している人はいなくて、代わりに鉄砲を肩に担いだアメリカさんが
ガムを、くちゃくちゃかんで立っていました。
二の腕にはポパイの入れ墨をしていた人相の悪いヤツでした。
自分を見たら何だか、そそくさといなくなっちゃいました。(@_@)
造成工事のハッパの音だと思っていたのは、あの鉄砲の音だったようです。
そこから見上げると先ほど自分が歩いていたあたりは深い藪で姿は見えないのです。
藪を手で払いながら歩いていた自分は猪か鹿とでも思われて撃たれたのでしょうか。
後になって散弾銃で撃たれると、あのような状況になることを知りました。
アメリカさんの射撃の腕が悪くて命拾いしました。
戦争には負けたくないものです。(;_;)
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2000/08/01■オートキャンプの旅(東北)
8月になりました。暑さ真っ盛りです。
この思いつき日記も3ヶ月を過ぎました。よく続いたものです。
何回か挫折して勝手にやめようと思ったこともありましたが男女を問わず、
その都度、励ましのお言葉をいただき今日に至りました。
読者の皆様には感謝に堪えません。
うっ、うっ、ありがたいことです。m(_ _)m
このところ全力疾走しているので、さすがに暑さでぼけた脳味噌では、
しんどくなりました。
俗に3日、3月、3年というマンネリで、やめたくなる時期があるそうですが、
この次の3年という目標は、あまりに遠過ぎます。
1日1日をこつこつと頑張りたいと思います。
ご声援の程よろしくお願いします。まるで野球選手のコメントだ(^^;;;
なにぶん、平々凡々の人生を過ごしてきているものですから、
面白い話題には欠けるとは思いますが、ご容赦ください。
今日のタイトルは■オートキャンプの旅(東北)です。
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